王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

作曲家の小林亜星さん死去、88歳…「北の宿から」

2021-06-15 09:34:38 | 芸能
報道は昨日14日夕刻でしたが、作曲家にして俳優でもあった小林亜星さんが、5月30日、心不全で亡くなったと報道されました。前日までは元気だったそうですが、30日早朝自宅で転んで救急搬送されましたが、病院で死亡が確認されたそうです。
浜爺が名前を聞いて顔がパッと浮かぶ方がまた一人無くなりました。
作曲家としての活躍ぶりは、都はるみさんが歌う「北の宿から」を始め、聞いた覚えのある「この樹 何の樹 気になる樹」のCMソングや子供むけ「ピンポンパン体操」なんかは聞いた覚えが有ります。またレナウンの倒産に際し書いた、ここをクリック⇒「レナウンがわんさか わんさか」と歌った「ワンサカ娘」も亜星さんの作曲だったそうで改めて驚きました。才能は有る人に偏る様で、俳優としてもTVで「寺内貫太郎一家」で、頑固オヤジ役を演じ人気を博しました。あの頃の体型を見ると不摂生と思えましたが、注意する方(黒柳徹子さん?)がいたそうで、減量に勤められたとか。その効果もあってか、まあ男として88歳はご長命の方でしょう。
謹んでお悔やみ申し上げます。   合掌

写真:作曲家の小林亜星さん(2019年8月23日撮影) 【読売新聞社】 

読売新聞:
多くのCM音楽やアニメソングを手がけ、都はるみさんのヒット曲「北の宿から」などでも知られる作曲家の小林亜星(こばやし・あせい)さんが、5月30日、心不全で死去した。88歳だった。告別式は近親者で済ませた。
 小林さんのマネジャーによると、前日までは元気だったが、30日早朝に自宅で転んで東京都内の病院に救急搬送され、病院で死亡が確認された。
 東京都出身。子どもの頃から音楽に親しみ、慶応大在学中には米軍関連のクラブでビブラフォンを演奏した。卒業後、放送関係の仕事をしていた作曲家の服部正さんに師事。1961年のレナウンのCM音楽「ワンサカ娘」が評判となり、一躍人気作曲家に。テレビメディアの成長期に、リズミカルで親しみやすいメロディーがお茶の間で愛された。
 代表作は、CM音楽が「この木 なんの木 気になる木」と歌う「日立の樹」、子供向けの歌は「ピンポンパン体操」、アニメソングの「ひみつのアッコちゃん」など。76年には都はるみさんに提供した「北の宿から」が日本レコード大賞に輝いた。
 大柄でユーモラスなキャラクターを生かし俳優、タレントとしても活躍。74年にはテレビドラマ「寺内貫太郎一家」で、頑固オヤジ役を演じ話題となった。2002年のNHK連続テレビ小説「さくら」などにも出演。クイズ番組「クイズヒントでピント」では、さえた回答で周囲をうならせた。
 同じ昭和一けた生まれの野坂昭如さん、永六輔さんと「世直しトリオ」を名乗って、歌や文章などで社会にもの申す活動も行った。15年に日本レコード大賞功労賞。



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