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華開院


写真は、本堂

華開院(けがいいん)は、円町(西大路丸太町)の達磨寺(法輪寺)の隣にあり、日野富子のお墓があります。

アクセス
最寄りはJR嵯峨野線の円町駅か、市バスの西ノ京円町です。
円町駅を出て右に進み、西大路通と丸太町通の両方を渡ります。
さらに道に沿って丸太町通を約200m進んだ2つ目の交差点を左折して天神通に入ります。
約120m先の左手に、華開院の表門があります。

観光寺院ではないので、日野富子のお墓のお参りを電話でお願いしました。
普通は「いついつかいいのですが」→「その時間は大丈夫です」→「ではよろしくお願い致します」、という流れになるのですが、
「その時間がご希望なのは分かりましたが、その時に居られるかは分かりませんので、また来られる直前に電話をしてください」と言われました。
当日向かう直前にTELをしたらおられましたので、多分御住職は非常にマジメな方なのだと思います。

表門の脇の木戸から入ると、正面に本堂、左手に庫裏があります。
庫裏から御挨拶をします。
すると御住職の案内で、本堂右手から回り込み、本堂裏手の墓地へと向かいます。
墓地の最奥、隣の達磨寺の達磨堂のちょうど隣に、宮内庁の管理する墓所があります。
ここには後円融天皇の母 藤原仲子と、後小松天皇の母 藤原厳子(たかこ)がお祀りされています。
この立派なお墓の左手に2つある小さな墓石の右側が、日野富子のお墓だそうです。
なにも書かれていないので、案内がないと絶対に分かりません。

また墓地には、尼門跡寺院の光照院や三時知恩寺の歴代門主のお墓もありました。
尼門跡寺院は、実質偉い門跡さまの生活の場だったので、境内にはお墓を造らなかったそうです。

本堂には真如堂の本尊と同木から円仁が造ったといわれる阿弥陀如来坐像がお祀りされているのですが、お参りは出来ませんでした。

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2014 7/23の拝観報告(後祭 宵山)


写真は、150年ぶりに復活した大船鉾

舞鶴の拝観報告はちょっと置いておいて、今日は急遽祇園祭の後祭報告です。
突然妻が行こうと言い出しました(笑)。

まず後祭のエリアです。
後祭は主に四条烏丸の北西側です。

今夜は新町御池→新町通を南下→四条通を通過→綾小路通→室町通→室町三条→新町御池と進む予定でした。
後祭では大通りの通行止めもなく屋台も出ないので、最初の北観音山の辺りは静かで落ち着いた感じ。
お囃子が心地よく響いていました。
混雑も大したことはなかったです。

しかし新町通を南下していくと、綾小路通~四条通間が北向き一方通行、四条通~綾小路通は南向き一方通行でした。
つまり四条通から離れる方向に上下に一方通行でした。
当初は「なんでこんなに流れが悪くなるようなことをするのかな」と思いました。
でも考えたら、車が通行している四条通に人が溜まるのを回避するためだったんですね。
なのでそこだけ東へ回避しました。

そして新町四条下るへ・・・大船鉾の町内です。
時間は19:10頃。
ものすごい人でした・・・。
四条通~綾小路通まで抜けるのに25分かかりました。
上の写真もなんとか撮ったものです(笑)。
ゆっくり観るなら昼間に行くべきでしょうね。

帰りは室町通をサクッと帰ろうと思ったら、ちょうど鯉山のところでNHKが生中継。
超混雑・・・。
最悪でした(笑)。

そして三条通で西へ。
ここは鷹山の町内です。
今後復活を期しています。

新町通の四条より北側は当初の想像通りでしたが、大船鉾の辺りは想像以上、いや前祭よりも混雑していました。
来年も大船鉾周辺だけは要注意でしょうね。

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円隆寺(丹後散策8)


写真は、本堂(右)と多宝塔(左奥)

西舞鶴にある真言宗の寺院で、本堂に重文の阿弥陀、薬師、釈迦の三尊像と毘沙門天、不動明王像があります。

アクセス
舞鶴若狭自動車道の西舞鶴ICでおり、国道27号線を舞鶴市内へ進みます。
左斜めに商店街がある西舞鶴駅前の交差点を過ぎ、すぐ次の交差点を左折します。
商店街を越え、川に架かる橋を越えます。
橋を渡った次の交差点を左折します。そこから約70m先の右手に円隆寺の総門があります。

駐車場は総門左手から坂の上った本堂の前です。

通常拝観
左右に仁王像がある総門をくぐり参道の石段を登ります。
すると正面に本堂、本堂の右手奥に鎮守堂、太子堂、観音堂と出世稲荷神社があります。
観音堂には聖観音菩薩像がお祀りされています。
本堂の左手奥には多宝塔があります。
また本堂左手の石段の上に寺務所があり、御朱印はこちらで頂けます。

予約拝観
往復ハガキにて10名以上で予約しておくと、本堂内部が拝観できます。
しかしこちらは檀家さんも多いようで、御住職は本当にお忙しそうです。
日程調整に苦労しました。
本堂の左手から中に入ります。
須弥壇の中央に本尊で2m以上あり“丹後の大仏”といわれる阿弥陀如来坐像、その右手に薬師如来坐像と不動明王像(黄不動)、左手に釈迦如来坐像と毘沙門天像があり、いずれも重要文化財です。
また薬師如来坐像の前には地蔵菩薩像もありました。
さらに本堂の左手には歓喜天もお祀りされています。

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2014 7/20の拝観報告1(円隆寺)


写真は、総門

この日はアマ会ツアーにて舞鶴ツアーでした。

参加者は、hytさま、Hitoさま、松戸在住さま、あんとんさま、WAN先代、frippertronicsさま、masaさまと僕の計8名で、masaさまと僕の車2台に分乗です。
JR丹波口駅 7:00に集合。
国道9号線から一旦丹波ICで降り→国道9号線から国道27号線→和知ICで再度高速へ→綾部JCT→西舞鶴ICです。

3連休の中日。
海水浴に行くファミリーが多く、丹波IC手前の片道1車線区間および国道27号線への右折レーンが渋滞しました。
そしてなんとか9:00に舞鶴の円隆寺に到着しました。

ここは10名以上で往復ハガキにて予約しておくと、本堂内部の三尊、不動明王と毘沙門天像の5つの重文Bにお参りが出来ます。
しかしここのご住職は檀家さんが多いようで、本当にお忙しいご様子でした。
この日もなんとか時間を作って頂き「10:00の法事までならOK」ということで、拝観が可能となりました。

ですので何としても9:30までには到着する必要がありました。
道中渋滞があり焦りましたが、間に合ってよかったです。
人数は10名から少し減りましたが、そこは大丈夫でした(笑)。

普段なかなか観ることができないBにお参りが出来てよかったです。
詳細は明日の本編で掲載します。

しかし国宝や重文に指定されると、基本的には拝観のチャンスがあるはずなんですね。
文化財保護法の内容を簡単に説明すると、国宝や重文は
「公開することで損傷が増す可能性が高い場合は仕方がないが、そうでない限りは公開の機会をつくることが望ましい」
的なことが書いてあります。
国の税金から補助金を貰っているからということなんでしょうね。
微々たる額らしいですが(笑)。

ですからそのような特別公開の際は、記帳を求められることが多いでしょう。
多分その記帳を公開したという証拠として、文科省に提出するのだと思います(笑)。

今回の往復ハガキも”その証拠”になるんでしょうね。
本堂に丁寧に置いてありましたからね(笑)

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谷性寺


写真は、本堂

谷性寺(こくしょうじ)は、亀岡市の湯の花温泉の先にあるお寺です。
明智光秀に縁があり桔梗が咲き乱れるので“光秀寺”とか“桔梗寺”などと云われています。
6月末から7月末までの1か月間は、近隣のききょうの里がオープンして賑わいます。

アクセス
京都縦貫道の亀岡ICでおり、国道372号線をひたすら進みます。
最初は道なりに左折し、亀岡運動公園を過ぎて、ローソンのある湯の花温泉の入口も通過します。やがて右手の湯の花自動車学校を過ぎると、道が1km程直線になります。
この1kmの直線路が左に曲がる手前の右側の側道に右折します。
ききょうの里オープン時は、たくさんの登りが立つので、見落とすことはないでしょう。
この周辺やさらに側道の奥、左手にも駐車場があります。

ききょうの里オープン時の順路です。
まず側道に入り、すぐに左に進むとその先の右手に駐車場と受付があります。
通常は無論拝観無料ですが、この時期はききょう園の入園料500円が必要です。
まっすぐ農道を進んでも谷性寺に行けますが、右手のききょう園を経て谷性寺へと向かいます。
ききょう園は結構大きくて、一面が紫と一部白い桔梗でいっぱいです。
周囲に高い建物があまりないので、写真撮影をしても背景が山ですので画になります。
このききょう園を進むと、谷性寺の招福門に出ます。
招福門を経て進み石段を登ると、谷性寺の山門です。
山門をくぐると正面に本堂があります。
境内の左手すぐに“光秀公首塚”が、左手奥に鐘楼があります
また右手奥にある門は“明智山門”があります。

本堂に入ります。
本尊は不動明王ですが、お厨子は閉まっていました。
また本堂左手には七福神像があり、右手には釈迦涅槃像や光秀公尊像がありました。
さらに光秀公尊像の周囲には五大明王像が並んでいました。

谷性寺の左側には篠葉神社があり、さらにその左側には大きな花畑があり、桔梗以外にも黄色いルドベキアなどがきれいに咲いていました。
そして最初の受付まで戻ってきます。

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2014 7/12の拝観報告7 最終(谷性寺)


写真は、ききょうの里

13:00頃に帰宅すると、子供たちが待ち構えていました。

夕方から近所の子供が集まって花火をするのですが、それまでこの子達を何とかして欲しいとのことでした(笑)。
当初から桔梗を見に行こうと言っていたので、早速長男と次男を車に乗せて、亀岡へLet's go!

妻は楽勝で自宅で休憩です(笑)。
僕は日中はほとんど家にいないタイプですが、妻は家に居るのが好きなタイプ。
拝観から帰ってくるやそのまま車で亀岡まで行けるテンションが、彼女には理解不能のようです(笑)。

京都縦貫道の亀岡ICで降り、湯の花温泉方面へ。
春に訪問した神蔵寺の方面です。
湯の花温泉の少し先にあるのが、谷性寺およびききょうの里です。

以前WAN先代から宣伝のチラシを頂いたのですが、6月末から7月末までこのあたりは桔梗が咲きます。
それに合わせて谷性寺でも本堂公開をされています。

詳細は明日の本編で掲載します。

感想です。
思ったよりガッチリ流れが出来ている印象です。
訪問前は、もう少しザックリしているイメージでした。

ききょうの里の入園料が必要ですが、桔梗も満開ですし、それに園自体が結構大きいです。
また周囲に大きな建物が少ないので、背景が山々になるため、写真の見栄えがいいです。

そしてその流れで谷性寺へ。
明智光秀ゆかりのお寺で、通常は本堂内部は公開されていない雰囲気でした。
本堂には光秀公像や釈迦涅槃像があります。
ご住職がおられたので「由緒書きはありますか」とお伺いすると、「古いのですが、それでもよろしければ」ということで頂けました(無論、全く問題なしです(笑))。

入口に軽食などのコーナーもあったので、子供たちはそこでかき氷を食べて大満足。
車で16:00頃に帰宅しました。

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しょうざん2 特別公開 峰玉亭(鷹峯散策4)


写真は、吉井勇の間

峰玉亭は、しょうざんの創始者 松山政雄が昭和30年代に建てた数寄屋造の迎賓館です。

通常峰玉亭の内部は非公開ですが、例年“華しょうぶの会”で内部に入れますし、2014年は京の夏の旅で内部が公開されました。
今回は2014年 京の夏の旅でも模様です。

しょうざん北庭には通常480円で内部に入れますが、玄関前で京の夏の旅で600円を納めれば峰玉亭にも入れるという寸法でした。

峰玉亭の玄関から中に入ります。
玄関の正面に床の間があり、特徴的な床柱は紫峰邸のを模倣しておりお茶室としても使えます。

すべてのお部屋に言えるのは、天井に竹を多用しておられます。
折上天井のように天井を2段にして、中央を船底天井にして空間を広く取ります。そしてその周囲は蔦で編んだ竹などを用いた竹組みの天井になっています。

内部を時計回りに1周します。
まずは右手の栖鳳の間です。
金の襖絵は狩野派のもので、床の間には竹内栖鳳の“竹に雀”が掛けてありました。
この裏には横に並んで2間ありました。
共に前述のような船底天井で金の襖です。
外周には栃の木の広い縁があります。

廊下の奥には浴室があります。
浴室の天井はタイルでアール状になっており、浴室の外には専用の枯山水庭園が設えてあります。

廊下の右手奥にはカーペット敷きの応接室があります。
斜めに梁が並ぶ天井は、千寿閣の光琳の間を模しています。

峰玉亭の右手へ。
ここには吉井勇の間と応挙画の間があります。
“吉井勇の間”は、部屋の1辺すべてが書院棚のようになっています。
ここで本業である帯を拡げて商談をされるそうです。
その棚の上の壁に吉井勇氏の歌が掛けてあります。

この正面に応挙画の間があります。
この部屋の襖絵の廊下側が円山応挙の画であり、また床柱は非常に太い南天を使用しています。
これらの部屋の奥にはトイレがあります。
このトイレも意匠が凝らしてあり、トイレの床は杉の1枚板でした。

これで1周してお終いでした。




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2014 7/12の拝観報告6(しょうざん)


写真は、峰玉亭と前庭

島原を後にして、壬生川通→五条通→西大路通で、西大路五条にあるマクドのドライブスルーへ。
昼食は車中でマクドです。
時間がないもので(笑)。

そして西大路通から北大路通に進まず、直進で到着したのが”しょうざん”です。

ここも紅葉梅の頃と来ているので、今回で3回目です。

もちろん今回訪問したのは、京の夏の旅での峰玉亭内部の参観です。

内部の詳細は明日の本編で掲載します。

感想です。
いくつかお部屋がありますが、基本的なコンセプトは同じです。
竹、竹、竹です(笑)。

また内部の撮影ですが、「人が多くなると難しいですが、今は少ないのでいいですよ」とおっしゃって下さいました。
実際管理を考えると縁側にガラス戸があるのは仕方がないんですが、やはり数寄屋建築ならば”庭屋一如”でいって欲しかったですね(笑)。

今回は初日ですがそんなに人が多くはなかったので、結構いい写真が撮れました。
でも帰り際入れ違いでバスツアーの団体が来られたので、よかったです。

帰りは13:00前でした。
西大路通を南下し、あんとんさまをJRの円町駅で降ろして、帰宅しました。

いわゆる拝観はこれで終わりですが、午後からの家族のお出かけにも1つネジ込んだので、それは明日に。

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法華寺


写真は、妙見堂

島原にある日蓮宗の寺院で、洛陽十二支妙見めぐりの1つ(未の方)です。

アクセス
市バスの島原口で下車し、大宮花屋町の交差点を西へと進みます。
真っ直ぐに進むとやがて道なりに左へ折れ、その先に島原の大門があります。
この大門をくぐり、最初の交差点を右へ曲がります。
すると左手に輪違屋があります。
この前を通過して約50m進んだ左手に法華寺があります。

由緒
平安時代に東寺の中に建立された法華堂が起源と云われています。
その後、天文法華の乱を経て東寺北門前にあったのが、1963年の新幹線敷設により当地に移転したそうです。

表門を入ると、正面に本堂、右手に妙見堂、左手に寺務所があり、御朱印はここで頂けます。
また本堂と妙見堂の間には日蓮聖人手掘りの“硯水之井戸”があります。
通常本堂は閉まっていますが、訪問時に掃除をされており開いていたので見ると、
須弥壇の最奥には釈迦三尊像があり、その前にお厨子に入った日蓮上人像があり、これが“わらじぬぎの祖師”ではないかと思われました。

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2014 7/12の拝観報告5(法華寺)


写真は、妙見堂

輪違屋を出て、コインパーキングへと戻ります。
その途中にあるのが法華寺です。
洛陽十二支妙見めぐりの1つです。

僕も特に集めているわけではなかったのですが、満願寺で御朱印を頂いてから少し意識し始めました。
それに十二薬師霊場も制覇したので、次を探していたところでした。
有名な西国三十三カ所観音霊場は、京都府外もあるので僕にはムリ(笑)。
洛陽三十三カ所観音霊場は、メジャー寺院が多すぎるのでパス(逆にマイナー寺院だけ行きました)。
そうなると洛陽十二支妙見めぐりって、マイナーさ加減も、数が多すぎることもなくちょうどいい感じです(笑)。

そのためにこの日は”日蓮宗専用御朱印帳”を持参していました!
驚いたことにここは由緒書きがあるんですね。
それに通常は閉まっている本堂を、訪問時ちょうど掃除されていたので、内部を見ることが出来ました。

これは明日の本編に掲載します。

もう少し東にはこれまた洛陽十二支妙見めぐりの1つ、”島原の妙見さん”の慈雲寺があります。
しかしこの日は時間がなかったので、次回の2回目の輪違屋の時に寄ろうと思います。

そして次へ車で行く途中で、あんとんさまにこんな話をしました
アマ会で例えるなら、
僭越ながら、僕は織田信長。
完全に集団を組織化したり、お金かけて鉄砲三千丁集めて一斉射撃するかのような拝観をしたり(笑)、ネラった獲物は簡単には諦めない辺りが(笑)。

WAN先代が豊臣秀吉。
オールマイティーであり、着々と堅実に版図を拡げている辺り。
最近は関東にも遠征されていますしね(笑)。

スーメテさまは柴田勝家でしょうか。
時に一部隊を編成して攻略する、北陸の雄。

では、徳川家康は誰だと思う?と聞いたのです。

するとあんとんさまは、「えっ、誰でしょう。他にそんな感じの方っていらっしゃいました?」みたいなことをおっしゃるので、
「オマエじゃ~~! ”座りしままに喰ってる”のは!! 今日も角屋の1階、2階と輪違屋を島原初訪問で同時に参観して!!!」
と、第六天魔王が思いっきりツッコまさせて頂きました(笑)。

いやしかし信長も家康に救われているように、大徳寺 金毛閣上京区の興聖寺などはあんとんさま情報で拝観可能になったので、僕も助けて頂いております(笑)。

そうか~~では、明智光秀は誰?

注意します(笑)!

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2014 7/12の拝観報告4(輪違屋)


写真は、1階奥の庭園

角屋を11:00頃に出て徒歩で向かったのが、本日のメインイベントである輪違屋です。

やはり結構来られていましたし、この時間のほとんどの方が角屋からご一緒の方々です。
皆さんしっかりしておられます(笑)。

内部の詳細は明日の本編で掲載します。

輪違屋は本来”置屋”=芸舞妓さんの所属事務所ですので、現在のお茶屋営業との境界が?でした。
現地での説明によると、明治維新で常連さんだ公家や武家がの多くが天皇と共に東京に流れてしまい島原の花街自体が錆びれたそうです。
その際に置屋だけでは営業が難しいので、お茶屋も始められたそうです。

今までこの島原エリアで唯一かつ最大の難所でしたので、内部に入れてスッキリしましたし存分に堪能もしました。
それに1階は撮影可能というのも驚きでした。
当然撮影不可だと思っていたので。
さすが京都市観光協会!

意外に2階の方が当初の勝手なイメージよりは狭かったです(笑)。

しかし輪違屋も次回いつ公開があるか分からないので、京都市文化観光事業保護財団の招待状が来たら、もう1度行ってみようと思います。

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長圓寺


写真は、観音堂と本堂

長圓寺(ちょうえんじ)は大宮松原付近にあり、洛陽三十三所観音巡礼の第24番札として知られています。

アクセス
市バスの大宮松原停留所で下車します。
松原通へ右折します。
しばらく歩くと左手には寺院が並びます。
約250mの左手に、長圓寺の表門があります。

初代京都所司代 板倉勝重が土地を寄進して造られたので、勝重の法諱“長圓院”から命名されています。

表門を入ると右手に本堂、その奥に観音堂、そして最奥に寺務所があります。
本堂には入ることは出来ませんが、本尊の円仁作と云われる阿弥陀三尊像がお祀りされています。

観音堂は堂内に入ってお参りができます。
聖観音菩薩像の他に不動明王像、地蔵菩薩像がお祀りされています。
聖観音菩薩像は一条天皇の時代に疱瘡が流行したのですが、恵心僧都が作ったこの像を21日間法要したら治まったという云われがあります。

通常本堂内部は非公開です。
しかし2015年11/3の十夜フェスの際に本堂に入りました。
中央に本尊の阿弥陀如来像。
脇侍に観音菩薩、勢至菩薩像。
左右の脇壇に法然上人像と善導大師像がお祀りされていました。

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2014 7/12の拝観報告3(角屋もてなしの文化美術館)


写真は、中庭

聞名寺を後にして、冷泉通→川端通→御池通→堀川通→五条通→壬生川通→花屋通→島原大門と来ました。
そして輪違屋の前を通過した奥の左手にあるコインパーキングが幸い空いていたので、そこに駐車しました。

輪違屋の前を通過した際に誰もいなかったので、駐車後すぐに戻って外観の撮影をしました。
当初は内部撮影が可能なんて夢にも思わなかったので・・・。

そしてまず向かったのが、角屋もてなしの文化美術館です。
京の夏の旅の分析にも書いたように、京の夏の旅期間になると角屋の2階は見られないので、当初から7/12の10:15~の2階参観を申し込んでしました。
僕も久々の角屋ですので折角なら2階も見たいですし、何より同行者は”初島原”ですので、万全のお膳立てをさせて頂きました笑)。

10:00前から1階の撮影をして、10:15から30分ほど説明付きで2階の参観。
その後1階の説明を聞いて11:00前に角屋を出ました。

しかしやはり角屋の2階は、各お部屋が実に見事ですね。
あんとんさまも2階に行けてよかったとおっしゃられていました。
夏の旅で1階だけは、やはりもったいないですね。

次のチャンスは、9/15~9/30です。
この間なら、角屋の1階と2階、さらに輪違屋も1度に観ることが出来ます。
しかもこの期間は祝日も多くて、9/15(祝)、9/20(土)、9/21(日)、9/23(祝)、9/27(土)、9/28(日)と土日祝が6日もあります。
遠方の方は是非チェックしてください。

そうそう、本編の写真をすべて今回のものに変えました。
・角屋 もてなしの文化美術館1 通常参観
・角屋 もてなしの文化美術館2 特別公開1
・角屋 もてなしの文化美術館3 特別公開2、総評

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聞名寺


写真は、地蔵堂

聞名寺(もんみょうじ)は東山二条を下がった妙傳寺の南側にある寺院で、明眼地蔵(あけめじぞう)は洛陽第17番地蔵尊です。

東山二条の交差点を南下します。
大きな妙傳寺の前を通過した先の左手に、聞名寺の表門があります。
最寄りのバス停は、北から来ると東山二条、南から来ると東山仁王門です。

由緒
平安時代初期の仁明天皇の第3皇子が眼病になり、地蔵菩薩に彫り守護仏とせよとのお告げがありました。
そこで慈覚大師に造仏させたところ眼病が平癒したそうです。
その皇子は後に光孝天皇となり、その住まい小松殿は没後に小松寺となったそうです。
鎌倉時代に一遍上人が当寺を“小松院聞名寺”として中興されたそうです。

表門をくぐります。
表門の右手には地蔵菩薩像がたくさんお祀りされています。
そして右手正面に地蔵堂があり、ここに明眼地蔵がお祀りされています。
通常お厨子は閉まっていますが、毎月24日は開帳しておられます。
境内に通常は人が常駐されていないようで、御朱印は貰えません。
代わりに地蔵堂の左手の棚に明眼地蔵の判子を押した紙が置いてあります。
また地蔵堂の右隣には大日如来像がお祀りされています。

境内奥の正面に本堂があります。
こちらの阿弥陀如来像は2019年の調査で行快の作と判明し、その年の春の特別展「一遍聖絵と時宗の名宝」にて、阿弥陀如来像が国立京都博物館で展示されました。
2020年10月から京都時宗道場御朱印めぐりが始まり、御朱印を頂く際に本堂にお参り出来ました。
本堂左手の玄関から入り、右手に進むと本堂です。
内陣中央には本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観音・勢至菩薩像がお祀りされています。
しかしお厨子に入っており垂れ幕もあるので、外陣からは見にくいです。
右の脇壇にも阿弥陀三尊像が、左の脇壇には阿弥陀如来坐像がお祀りされていました。

また本堂の右手から墓地へと進みます。
墓地に入ったすぐ右手に阿弥陀石仏があります。
これは釘抜地蔵(石像寺)の石仏の写しとも云われています。



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2014 7/12の拝観報告2(聞名寺)


写真は、地蔵堂(右)と本堂(正面)

大蓮寺を出て、二条通から東大路通へ。
東山二条の北西のコインパーキングに駐車して向かったのが、聞名寺です。
明眼地蔵(あけめじぞう)で知られています。

ここは他のブログなどを見ていると、お寺の方がおられないので御朱印を貰えないと書いてありました。
また明眼地蔵のご開帳についても、WAN先代が「23日か24日かに開いてませんでしたっけ」と言われた情報ぐらい。
地蔵盆についても不詳でした。

それらの情報が知りたかったのですが、多分誰もおられないだろうから後日電話で聞くとしても、近くまで行くので写真だけでも撮ろうということで行きました。

表門を入ると地蔵堂がありますが、そこでなんとお寺の方が掃除をされているではないですか!
超ラッキー!
疑問を全部お伺いしました(笑)。

御朱印はやはりされておらず、他のブログにもあるように地蔵堂の前に置いてある明眼地蔵の判子を押した紙しかないです。
そして明眼地蔵のご開帳は毎月24日の終日。
今年の地蔵盆は8/24(日)で、夜の燈明が見どころだそうです。

よかったです。
1つドキドキして電話をする手間がなくなりました(笑)。

僕は明眼地蔵の判子を押した紙を頂き、一旦墓地にある阿弥陀如来坐像をお参りに行きました。
そしてまた戻ってきたら、お寺の方が紙を持ってこちらへ来られます。
えっ、なんやろう・・・もしかして、それは・・・
「由緒書きをお渡しするのを忘れていました。」

!!!あるんですか、由緒書き!!!
しかし僕もオトナですので、「あっ、ありがとうございます」と普通を装って頂きましたが、飛び跳ねんばかりに喜んでいました。
もちろんあんとんさまは、僕と目を合わせてニヤリとされましたけどね(笑)。

お寺の方にお会いできて詳細すべてをお伺いすることも出来ましたし、当初からないと諦めていた由緒書きまで頂けて本当によかったです。

”朝起きは三文の得”、間違いないです(笑)。

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