古い本を図書館にリクエストして取り寄せて貰った、確か昔読んだ記憶がある
昭和18年6月に51師団の補充兵としてニューギニア戦線に送られた著者の話
一緒に日本を発った多くの仲間の輸送船がダンピール海峡で沈められたが
奇跡的に著者の船は沈没を免れた
ニューギニアでは人跡未踏のジャングルを数百キロの行軍させられる
それも食料も無く草を食べ虫を食べ戦友の死骸にたかるウジ虫を食べ
挙句の果てはウジ虫のたかる戦友の死骸を食べる
著者の書く人肉食をした行為についての哲学的な記述が長い
餓死寸前、病死寸前の体に肉の細胞を栄養とした事によって飛躍的な健康を飛び戻す
戦友三人と目的地を目指すんだけれど絶対に単独行動はとれない
敵に襲われるんじゃ無くて味方に食料として襲われるんだ
ほとんど地獄の餓鬼じゃ無くてこの世の餓鬼にまで慣れはててしまった
さいわいこの方は生きて故国の地をふんだけれど
多くの戦友はニューギニアのジャングルで英霊となった
ニューギニア戦線には20万人以上の兵士が投入されて
生きて故国に帰って来られた人は7%ほどだと言われている
戦死者のほとんどの死因は病死と餓死だ
今日は終戦の日・・
この本は地域別、作戦別、軍艦に輸送船別に戦死者の数を詳細に書いている
先の戦争の死者310万人そのうち軍人軍属が230万人
外地で亡くなった邦人30万人内地で亡くなった邦人が50万人
驚くことに海上戦死者36万人を除く陸上戦死者194万人のうちおよそ半数の死因が餓死だ
後の半数の死因も病気や傷病が主で敵との戦闘での死者は何割ほどだろう
まあ餓死者もアメリカ軍の物量と緻密な作戦のせいだから戦死は戦死だ
海上戦死者も軍艦の戦死者より圧倒的に多いのは輸送船が沈められた事による兵士の戦死だ
一隻の輸送船の沈没による死者で多い船は一隻で4000人3000人と言う数の死者を出している
500名以上死者を出した輸送船の数は84隻を数えている
ちなみにタイタニック号は1500人
両親の愛情をもって育てられお国の為だと兵隊に採られて鍛えられて
それが敵とのドンパチ戦闘で死ぬんじゃ無くて輸送船の上でまた名も無い南の島で餓死させられて
無念の英霊は何をか言わん
79年前の終戦の日、祖父の戦争も終わってスマトラのジャングルで武装解除された
「ジャワは天国ビルマは地獄生きて帰れぬニューギニア」と言う言葉があったそうだけど
そのジャワで祖父は生きて虜囚の辱めを受けた
そう言えば前にネットでこのお店の話が出ていたような
全然興味が無いから記事も見なかったけれど図書館に本があったから借りてみた
元AKBの下部組織に属していたんだな
それでもオーディションの倍率は250倍
高校時代に惣菜屋のバイトでためたお金が200万
研究熱心で働き者でアイドルの素質もあって・・
えらい娘やん
元アイドルをお店の売りにしてから誹謗中傷が出る
そう言った奴がきょうびの世の中おるんや
最後には週刊誌にも叩かれる
なんでも材料の産地偽造をしていたとか・・
それぐらいええやん!
たかだかラーメン屋の材料ぐらい
この子だって大金持ちの家の子じゃ無いだろうし
苦労して資金を工面して
アイドルを売りにしたのも他の人に無い本人の素質なんだから
こんな幼気のない娘の夢を砕いてしまう週刊誌って何だろう
最後は鎌倉の一等地にラーメン屋を開くんだがコロナ過で夢は潰えてしまう
素質ある者が努力しているのを素質が無く努力もしない奴が潰してしまう
こんな世の中なんです
まだ読み終えて無いんだけれど沖縄のとある漁師さんの事が書かれている
物語の内容と言うより漁師さん全体では無いけれど漁師さんの気質と言うか実像?と言うか
伊良部島のマグロ漁師さんのHさんがこの本の主人公なんだけれど
マグロ漁に3~4か月出漁するんだけれど結構収入は高くって伊良部島の漁師さんの家はどれも立派だ
しかし漁から帰って来るとすぐに賭け事・・パチンコパチスロにつぎ込んでお金を無くしてしまう
お金が無くなると次の漁に出漁してまた稼いだ金をギャンブルで使ってしまう
この繰り返し
有り金を無くすると後、数千円で777になるはずだと奥さんの職場まで金をとりに行く
ギャンブルをして無いときは‘酒,
全ての漁師さんが宵超しの金は持たない江戸っ子じゃ無いけれどこの手の方は多い
輪廻転生と言う言葉があって私の前世もこの手の漁師です
ようやく読み終えた・・
主人公はオットセイ将軍?と言われた十一代将軍徳川家斉
なんとこの方男子に姫君合わせて53人も子を成した
お妾さん何人ぐらいおったんやろ?
この本の中に出てくる幕末表舞台に登場する有名な水戸のお殿様徳川斉昭も37人も子を成している
将軍の子供となるとどこかの藩に養子や正室に振り分けなければならない
押し付けられた藩こそいい迷惑だけれどそれはそれで将軍様の子供を迎える事でいろんなメリットもある
男子を養子に迎える事で石高を増やして貰ったり女子だと将軍家から仕送りもあったそうだ
もうこの頃になると外様譜代の大名の家来もお殿様なんてどうでもよくて雇われ社長を迎える
様なものだった江戸時代の最初の頃にはお殿さまの死に殉死をした家来もいて殉死禁止の触れもあったが
押し付けられたお殿さまに対してはありえなかった
せっかくの連休だと言うのに・・雨が降っとる
図書館の新刊本コーナーから借りて来た・・僕が読者第一号だ
この本400ページ以上あって定価が4000円
自分の金だと絶対買わない
ヒットラーが政権を取っていたナチスドイツでは1938年~9年頃からユダヤ人迫害が始まる
民族浄化が叫ばれユダヤ人は迫害を通り越してナチス占領地からの絶滅させる政策に変わる
ここにアウシュビッツなどの強制収容所が生まれる所以だ
子供から年寄りまでユダヤ人と言うだけで理不尽な強制収容が行われるんだけれども
そんな中でも一部のユダヤ人がナチスの迫害を逃れて自由の国アメリカに移民するんだ
一部の人・・・どんな人?
やはり第一にお金持ち
(これはもう当たり前やんか!)
次はアメリカにお金持ちの知り合いがいる事
(また金やんか!)
運のいい人
(あくまでアメリカにお金持ちの身元引受人がいる事)
(結局金かい!)
その頃のアメリカにも移民に対しての言い分がある
あくまで移民者に対して決してアメリカ人の税金で彼らの生活を面倒見ないと言う事だ
移民者に対して自分の資金で生活を貫徹しろと言う事だね
どこかの国のように来たら生活保護を受けられると言う事は絶対に無いんだ
第二次世界大戦が本格的になりアメリカに移民してきたユダヤ人の中にも兵役年齢に達する若者もいて
彼らは軍隊の入隊を希望する
しかし彼らはアメリカの国籍も持って無くて尚且つドイツ生まれだとスパイとの区別もつかない
彼らにしたらドイツ占領地に残してきた家族の心配やユダヤ人としての誇り
ナチス撲滅を願ってなんとか軍隊に入隊するんだけれど
彼らに与えられた仕事は医療や兵站と言ったあくまで後方勤務で前線に出る機会は無い
しかし徐々に彼らの外国語能力が戦場で求められて前線で捕らえられた捕虜の尋問に活かされる事になる
ユダヤ人と言うのは元来、知能指数も高くて彼らの行動は戦場で評価も高くなる
この本は彼らの勇敢さやユダヤ人としての理不尽な扱われ方
戦争末期からドイツ降伏後の強制収容所の惨状、家族の消息、などが綴られている
ユダヤ人て何故にこれ程にも嫌われたんだろう
今、イスラエルのガザでの行為なんかマスコミはパレスチナ寄りだけれど
人質とってる方が文句垂れるなんてありえんやろ!
小さい頃からミリタリーマニアで愛読書はちょっと値段の張った月刊誌で「丸」だった
この本は図書館にあったので借りてみたけれど
B29と言えば日本を灰にして日本の敗戦を決定させたアメリカ爆撃機だ
この飛行機をかっこいいとか言うと不謹慎だと言われるだろう
今から79年前の8月6日この飛行機が広島に爆弾を落とした原子爆弾だ
当時14歳で中学2年生だった父は原爆が落ちた時間広島市内の汽車の中にいた
市内の建物の強制疎開の手伝いに駆り出され生徒の集合場所に向かう途中だった
原爆が落とされた時間があと数分遅かったら僕もこの世に父の子として存在しなかっただろう
あの日も暑かったらしい
今日も暑いね
日々孫の面倒を見る女性がふらっと記憶にある小学生の頃父親の転勤で暮らした町を訪ねてみる
記憶の中にある霧多布の町の景色と鯨の爆発!と転校先の小学校で仲良しになったよっちゃん
よっちゃんの名字も思い出せない鯨の爆発!も、あやふやな記憶でしかない
ふと、彼女に微かな記憶が蘇る
鯨の爆発!とよっちゃんの思い出の地は霧多布じゃ無くて釧路だった
昭和40年、釧路の小学校の炊事遠足で起こった悲劇
衝撃的な出来事を彼女は忘れたんじゃ無くて自分自身の記憶から消し去ったんだった
この話は面白かった
最後に本当にあった出来事を話に絡めたんだね
良い作家さんだなと思ったらこの作品の次の年の作品で直木賞を貰っている
夏の日・・四万十川
貧困、イジメ、家族愛、不条理・・どこにでもある内容ですね
それにしても子供は時として残酷ですね
麦飯に塩を振っただけの弁当しか持ってこられない貧乏な女の子に付いたあだ名が
「しおめし」・・「しおめし」と呼ばれて返事をしなくちゃならないのか
前に読んだ本の中で父親が犯罪を犯して投獄された女の子に付いたあだ名が「あばしり」
こんなあだ名をつけられた本人たちにとったら地獄だよ
この本の中にあるが昔、子供たちの間で「花いちもんめ」と言うのがあった
地域によってルールは違うだろうけどこの本の中の「花いちもんめ」は
「あの子がほしい♪」と言ってどんどん人数が減っていって最後に残った子が
クラスの中の一番嫌われ者となる
この本のなかで最後に残った子はやはり「しおめし」だった
先の戦争、陸海軍の航空機による戦記、特に特攻攻撃で戦死された航空兵の死の軌跡を綴った本
大戦後半の守勢にさらされ特攻攻撃止む無しの風潮が産んだ悲劇の話
アメリカが物量で日本を駆逐し日本は一部の将官がやたら精神論を鼓舞し大戦を長引かせた
そんな中で自分達はただ上官の命令に従って死に殉じようとする若者達
大戦も後半になって明らかに負け戦が見えてくると従順な若者達にも少なからず疑問は芽生えてくる
しかし彼らはおくびにも出さず国に殉じる覚悟なんだけれど
特攻攻撃に出て天候不良、機体不調、目標未確認で引き返す特攻機も増えてくる
もう戦争末期になると練習機から複葉機、水上機まで飛べれば何でも爆弾を積んで死地に赴かせる
この本にも出てくる白菊特攻隊の特攻機白菊なんて爆弾を積むと時速180キロ程度しか出ないと言う
特攻機を迎え撃つその頃のアメリカ戦闘機はもう700キロ近い速度を出せた
その棺桶の様な飛行機を特攻を指揮した将官達の中には敵の軍艦より遅いと笑った人もいたそうだ
そんな特攻機に乗り込むのは酸いも甘いも知らない20歳前後の若者だ
彼らを死地に送り込む上官達は必ずこう言って送り出した
「お前達だけ行かせない俺も必ず後から行く」
終戦時、責任を取って自死した将官は一人二人
将官の中には自分一人腹を切って死ねば済むのに
終戦の詔書が出ているのにかかわらず特攻隊を率いて特攻した人物までいる
道連れにされたほとんどの特攻隊員の内心は行きたく無かったろう
偽りの精神論が幅を利かせて無垢な人間を死に追いやったんだ
生きて虜囚の辱めを受けずの戦陣訓をやたら兵士に吹聴し死ななくても済んだ大勢の人を死なせた
陸軍大将は自決する態度は見せたけれど腹を切るのは痛いからピストルを使った
それもホントに死ぬのは躊躇した
頭を狙えば確実に死ぬからと胸を狙ってちょっと的を外した
念願通り彼は生き残った結局絞首刑になるんだけれど
今も昔も景気のいい話をする奴は信用しちゃダメだね
話は違うけれど特攻隊で生き残った偶然の話は幾つかあるけれど
特攻出撃の数分前にアメリカ軍機に基地を空襲され自分の搭乗機が破壊されて出撃出来なかった人がいる
もちろん隊員の態度は・・
「あの野郎!」だけれど
裏では便所の窓から敵のアメリカ軍機に感謝したと思うよ
絶対に