たぶん観ないだろうけど今、沢田研二さん主演の映画が上映されているみたい
沢田研二さんと言えば元タイガースのメンバーで昭和の大スターだ
タイガースと言えば僕の姉世代がファン層だな
姉が大学入学で家を出たので僕が姉の部屋に移ることになって
部屋に入ると壁に大きな額縁入りの沢田研二さんの笑った顔のポスターが飾ってあって
別に外す理由も無いのでずっとジュリーのポスターを飾ったままにしてあった
テレビドラマで樹木希林さんが笑った顔のジュリーのポスターに向かって
「ジュリー!」と呼びかけるシーンがあったけど
昔、日本中のファンの部屋にジュリーのポスターを張ってたんだろうな
その後、その部屋は田舎にUターンした兄の部屋になって
兄もジュリーのポスターを外さなかった
そのポスターは今でもその部屋に飾ってあって物が良かったのか全然色あせてないんだ
家に住人が誰もいなくなっても笑った顔のジュリーがもう50年も部屋と一体化している
姉の青春を僕の青春を兄の人生を笑ったジュリーがずっと眺めてる
数年前その部屋に入ってジュリーのポスターを見ていたら
ふと足元の棚の上に黒い額縁が置いてある
なんだろうと思って見てみたら数年前に亡くなった兄の遺影なんだ
生涯が独身だった兄の遺影を壁に飾った所で住人が誰もいない実家で見るべき人がいない
兄どころか両親の遺影さえも飾っていない
飾ってあるのは爺さんの遺影だけ
それとジュリー
昨日から今朝にかけてテレビは韓国ソウルの圧死事故一色
日本にこれほどの事故が起こったとしたら韓国のニュースはこんなにも取り上げるだろうか
僕も一度ひょっとして大怪我をするかも・・・と思った事があった
30数年前近くの県道沿いに新しいパチンコ屋が出来た
その店の新装開店の日、駐車場に詰めかけた群衆は明らかに新装台より多い
もう立錐の余地が無いんだ
僕はちょうど群衆の中ほどにいたんだけど、その時急に不安感が頭をよぎった
そうしたところ、それまで閉まっていた店のシャッターが50センチほど開いたんだ
開店5分前くらいか、
その時、前にいた連中が開いた50センチの隙間をくぐって店の中に入りだした
そこから怒涛のごとく皆が店に詰め寄せて
シャッターは破壊される前方の連中はなぎ倒される
店員の怒鳴り声と客の悲鳴
こうなったら群衆の中頃の人間なんてどう仕様も無いんだ、ただ成されるまま
僕は後ろから押されてパチンコ台に片手を突っ込んで体を支えたから
台のガラスは割れるし足元には人が転がってるし
あの時、手で支えたから良かったけど頭から突っ込んでたりしたら
もう思い出しただけでもぞっとするわ
群集心理って怖いね
もう家でひきこもってるに限るよ
はま寿司のかけうどん(税抜き150円)お気に入り
下手なうどん屋より旨い
幸いな事に20歳から結婚するまで3食付きの職場で過ごした
20歳前の2年間大阪で一人暮らしをしていたんだが
その2年間ほとんど毎朝、阪急そばのうどんセットを食べた
素うどんに、かやくごはんとタクアン2切れが付いて270円だった
毎日、毎日、これを食べた
それと毎日毎日パチンコ屋に行った
うどんは必ずパチンコ屋に入る前に食べる
パチンコ屋に入った後だと270円も残らない事があるからだ
パチンコで儲かったらテキか元禄寿司か食うねん・・
・・と思いながらパチンコを打つんだけど
いつも負けてばかりで帰りには水しか飲めなくなった
その頃5千円あったら美味しいもんでも食べたろか・・とは思わなくて
とりあえずパチンコで‘増やして,から美味しいもんを食べようとしたから
結局全部すってしまって水しか飲めなかった・・
お金が入るとパチンコを打つ・・
結局、負けて・・
(パチンコなんて一生せえへん)
と思うんだけど
金が入るとまたパチンコを打つ
そいでもって
(一生せえへん)
・・と思う
また金が・・
(一生・・)
条件反射で
パブロフの犬のような暮らしをしてたな
あほやった
なんやったっけ?
そうそう、うどんの話
40年前、骨接ぎ学校に入学すべき上京した
現在の学校は渋谷の桜ケ丘の坂の上に素晴らしい高層ビルになっているけど
僕が入学した当時は国道246の歩道橋近くの古い校舎だった、あくる年から坂の上の桜ケ丘に移った
アパートを探すのに入学式前の3月初めの早い時期に上京して
学校の向かいに小さな不動産屋があって聞いてみると・・
「ああ、良いのがあるよ、最近空いたばかりだよ」と言う
聞くと、ここから徒歩5分だと言う
さっそく不動産屋に連れられてアパートを見に行った
渋谷の駅とは反対側に桜ヶ丘の坂を下りてまた狭い坂道を上る
住所は鉢山と言ってやはり山が付いてる
小さな路地に入ると左手に有刺鉄線付の柵で囲われた広い芝生の敷地があって
木の枝に吊らされたブランコに座って外人の子供たちが遊んでた
どこか外資のアメリカ人住宅なんだそうだ
それからまた狭い坂道を上り、登りきる途中にそのアパート泰山荘があった
アパート前から振り返ると目線と同じ高さに桜ヶ丘のビル群が見えた
アパートの門を入ると自転車が何台か止められる小ぎれいな庭があって
空き部屋は玄関を入ってすぐの四畳半の部屋だった
一階は3世帯で隣の部屋はフリーのカメラマン
向かいの部屋はヒルサイドテラスにお店を持つ陶芸家の女性が仕事部屋として使っていた
学校から5分と言う事もあり、すぐその日に契約した
隣は大家さんのお宅でアパートの坂の下にあたるんだけど
アパートと同じ高さの建物を建てると盛り土があって
僕の入った部屋は窓を開けると盛り土の壁で
部屋は昼間でも灯りが必要だった
それでも家賃2万7千円はこの場所で破格の値段だった
たぶん現在でもこの辺りは住宅地としては坪単価日本一ぐらいだろう
今日も何だか肌寒いね
もう紅葉かな?紅葉って言えば原宿のケヤキ並木なんかインスタ映え?するかな
上京した40年前、
田舎者の渋谷と言えば公園通りの坂道をNHKの放送センターから代々木公園方面に向かった
あの頃、休みの日には原宿の歩道橋辺りで竹の子族が踊っていた
僕にはまったく興味が無かったけど
上京してどれくらい経った頃だったろうか
夜間の骨接ぎ学校の同級生で日体大の柔道部の監督かコーチだった人が
「知り合いが表参道にスパゲッティの店を出したから連れて行ってあげる」
と言うので数人の同級生と連れて行ってもらった
表参道のどの辺りか今ではまったく思い出されないけど
テーブルがお店の外に置かれていて
その前の通りをおしゃれな若者達がそぞろ歩いてる
スパゲッティが母親が作っていたトマトケチャップじゃ無いんだ
現在で言う‘パスタ,なんだな
夜の表参道、青山通り
きらびやかで幻想的でおしゃれで
ここがかぐや姫の歌う‘アビーロードの街,なんだ
田舎者は驚いたね
前の年、大阪で誰かにごちそうになったのは鶴橋の焼き肉屋だったけど
全然、おしゃれじゃ無かったね
1982年
バブルが始まった頃で
現在と違って誰しも浮かれてた
明日は寒いらしい
こうやって一日々冬に近づいて行くんだろう・・
ねぎ買うて枯れ木の中を帰りけり
初めて一人暮らしを始めた最初の冬
夜中にカタカタと部屋の摺りガラスが風で揺れて
ぴゅーぴゅーと隙間風が万年床に吹き付けた
もう寒くて寒くて
布団をかぶって膝を抱えてたんだけど
もう寝られたもんじゃない
眠ると死ぬと思った
(冬山登山じゃ無いんだから)
明け方起きてみると部屋の中の小さな台所が凍り付いていた
それから隙間と言う隙間にビニールを詰め込んだらどうにか寝られるようになった
40年以上前、あの頃でも破格の三畳一間8000円の家賃だったからな
あくる年、確か5月~夏にかけて土方のアルバイトで釜ヶ崎の三角公園に行った
アオカン(野宿)のおっさん連中が公園で寝ていて
(わしよりまだ貧乏人が世の中にはようけおるんや)
(冬はどないしてるんやろ)
と思ったけど
実は直感でこうも思ったんだ
(僕も数年後ここのメンバーとして公園で皆と並んで寝てるだろう)
この先、まだ分からんな
朝、散歩をしていたら何処からか金木犀の臭いがして来た
金木犀の臭いって何故か郷愁を誘うね
遠い昔を思い出す。
高校を卒業して大阪に出た時
母と二人でアパートを探して阪急沿線のいくつかの駅に降りた
最終的に宝塚線の庄内か京都線の総持寺のどちらもボロだったけどアパートにするか
結局総持寺のアパートを選んだ
19歳の時、その総持寺での出会いから現在の職業に就きこの土地で暮らしている訳だけど
あの時、庄内に住んでいたら今頃どんな暮らしをしていただろう?
現状より良いとも悪いとも分からないけど
やはり東京に上京していただろうか?
あのままずっと大阪に暮らしていただろうか
それとも他所の土地に移っただろうか?
そんな事をあれこれ考えながら今朝散歩を続けた
いつも最終的な答えが
どこかのお金持ちのお婿さんに収まっていたら良かった
と思うんだ
これは今朝の明け方にスマホで撮ったお月さんですが
おとといの晩にベッドで寝ていてふと今晩が十五夜なのを思い出して
枕もとの窓を開けると頭の上にお月さんが輝いていた
微睡ながら考えてみると月を愛でるなんて事はここ最近無かったなと
昔々小さい頃、母が十五夜には縁側に団子を作ってススキを飾ったのを思い出した
浜辺に近い田舎の静かな秋の晩、虫の音と潮騒の音がしていた
今日から9月1日ですね
田圃の稲穂が頭を垂れてツクツクボーシから秋の虫の音にBGMが変わって来ました
小さい頃、9月1日と言うと1年で一番憂鬱な日でした
半分もやらなかった夏休みの宿題
そして9月と言うと運動会の練習
かけっこはいつもビリかブービーの僕は繰り返される練習が嫌でたまらなかった
特に行進練習
マーチに合わせて昔は背の高い者順に行進するんだけど
かけっこがビリの僕は胸を張って行進したくなかった
出来たら後ろの方でうなだれて歩きたかった・・
今日からそんな9月の始まりです