HIROZOU

おっさんの夜明け

眉山

2007-05-24 21:11:12 | メモリー

新緑の若葉に強い陽射しが照りつけ、また暑い夏がやってくる

鉦に太鼓それに三味線の弾ける音

ももひき姿の男たちと編笠をかぶった女たちが踊りながら街を練り歩く

徳島の夏

いま「眉山(びざん)」と言う映画が封切られているらしい

・・・

眉山に初めて登ったのは小学校の低学年の頃だったろうか

どこも連れて行って貰えなかった夏休みの終わり頃

親父に「どこかへ連れて行って」とせがんだ

しぶしぶ連れて行って貰った先が徳島だった

行楽とかまだあまり定着していなかった時代の日帰り旅

田舎道をがたごとと一時間ちかくバスに揺られ、それからさらに汽車で3時間程

徳島はあの頃の僕には見るものすべてが珍しい大都会だった

駅前には四国には珍しい幹の高いワシントンヤシの並木が続き

阿波踊りの徳島として観光客を呼んでいた。

親父は駅前のビルのレストランに僕らを連れて行ってくれた

僕らと言うのはその時、兄も一緒だった

僕は兄と一緒に出かけるのは嫌だった

彼の生まれ持ったある欠点が好奇の眼にふれるのが辛かった

レストランで向かい側に座った同じ年ぐらいの兄弟がこちらを見ながらひそひそ話をする

その眼は兄を見ていた

親父を見ると親父は彼らに微笑みかけていた

その時、普段食べる事の出来ないお子様ランチか何かを食べていたんじゃないだろうか

しかし僕の記憶に残るのは寂しくせつないような

小さな記憶

レストランから出て頭をもたげると樹木で鬱蒼とした山が見える

山頂付近には数本のアンテナかなんだか知らないが鉄塔が立っていて

初めて見たこの山からは不思議なやさしさが感じられた

親父が言った

「今からあの山に登るんや」

そして僕らはロープウェイで山頂を目指した

標高が高くなり視界がひらけてくると

眼下に徳島の市街地が広がり彼方に大きな川が見える

山頂で市街地を見下ろしながら親父がぽつんと言った

「お父ちゃん、広島の中学校へ行っとって原爆に会うたんや、それで学校も無うなったし

その頃は、おじいちゃんは戦争へ行って行方知れずで、仕方無いから高知へ戻ったんや

途中、徳島で汽車を降りてここへ登ったんや、あの時広島も焼け野原やったけんど

こっから見た徳島も焼け野原やったな」

眉山の山頂でそんな親父の昔の記憶を僕は聞いた

その日、僕の小さな記憶の中に眉山は残った

その後、坊主頭で登った中学の遠足

徳島の高校に進学してからは眉山が近くなり

仲のいい友人達と登った

上京してから帰省は徳島の空港を使う

空港から駅に向かうバスの窓から眉山が見えてくると

徳島の人間でもないのに

「帰ってきた」

と少し感傷的になる

娘達を連れて登った事があった

「お父さんも小さい頃、高知のおじいちゃんとここへ登ったよ」と言ったが

行楽慣れの彼女達の記憶の中に眉山はもう無いだろう

僕には人生の節目に登った記憶が残っている

しだいに眉山には登らなくなったが

眉山を見ると

あの遠い日の自分が鮮やかに蘇る

 

コメント (1)
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