HIROZOU

おっさんの夜明け

そろそろ帰るか

2014-01-31 19:40:11 | メモリー

                                  

大阪には高校を卒業して20歳までの2年間暮らした

今から30数年前の事だ

そんな大阪での暮らしの一端を昔どこかのホームページに書いた文章をみつけた

とても拙い文章だが・・・


埃だらけの空調室、容赦無い怒号が飛び交っていた。

汗と埃にまみれた古い作業着を着て私は現場でのたうちまわっていた。

「おい、ひろ造バルソケとれ、どないしたんやバルソケや」

バルソケってなんやろ・・・僕はあらゆる物を差し出した。

脚立の上で一歳上の社員の丸山が手を止め私を睨みつけた。

「まぁええやないか」

とやはり社員で四つぐらい上の斉藤さんがその場をなだめた。

私は生まれて初めて労働をしていた。

パチンコで仕送りの金が無くなり浪人の身でありながら毎日出勤のバイトをしていた。

恐れ多くもバイトニュースで一番時給の良いバイトを選んでしまった。

その現場がここである

毎朝、会社に出勤するとホワイトボードにその日の仕事の現場とスタッフが書かれていた。

その日僕とペアを組まされたハゲのシゲやんが言った

「けっ!今日はひろ造とか、おらんほうがマシやな」

あからさまに嫌がられた。実際、僕は足手まといになる事が多かった。

はっきり言って‘どんくさい,のである

でも辞めるわけに行かない明日食う金が無いのである。

その頃の主食は2百何じゅう円かのうどん定食だった

仕事帰りに斉藤さんに声をかけられた

「ひろ造君、今晩、暇?」「はい、予定はありませんが」

私をイビルばかりの社員の中で斉藤さんはよく私をかばってくれた。

「今晩焼肉おごったるわ」

・・・私は田舎にいる頃ホルモン焼きは食べた事はあったが

本格的な焼肉は食べた事が無かった。

「その代わり焼肉食べる前にちょっと寄るとこあんねん、付いて行ってくれるか」

「はい、いいですよ^^」

私は生まれて初めて食べる焼肉に有頂天だった特に毎日、うどんとまぜご飯しか

食べて無い身の上だったから

連れて行かれた先は環状線の玉造の駅に近いアパートの一室だった

人の良さそうな男女5~6人が部屋の中で雑談していた。

斉藤さんが皆に私を紹介した。

雑談が終わって、ありがたい?お話しに変わった

突然一人の人が私に言った

「ひろ造君、悩みは何?」

「悩みなんてありませんけどぅ」

「何かあるやろ、皆で聞いたるから」

「いえ、ほんとに無いんです」

私はその頃、金も無かったが悩みも無かった

最後に皆でお経を読んだ、聞いた事も無いお経だった

私も一緒になって手を合わせゴニョゴニョと皆に合わせた

その後、いよいよ焼肉屋である

一人の方が言ってはいけない事を言った

「ひろ造君、好きなもん食べ」・・・と

18歳の私の胃は遠慮を知らなっかった。特に普段ろくなもんを食べていないのである

この世にこんな旨いもんがある事を知らなかった。

値段も知らなかった

他の人はいたって小食だった

「なんやこんな旨いもん皆食べへんのやな」と思った

こんな旨いもんタダで食べれるんやったら宗教もええなとも思った。

あくる日、会社に行くと斉藤さんは何故かよそよそしかった。

私をあまりかばってくれなくなった。

宗教のおさそいもあれ以来まったく無かった

せっかく入ろと思っていたのに・・・

今、考えると彼らもきっとビンボだったんだろう

私はその会社のバイトを2ヶ月で辞めた

コメント
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