段々と蒸し暑くなって来ると
頭の中にコンチキチン~♪と祇園囃子の鉦のねが響いて来る・・
アホやろか
初めて京都に行ったのは高校生の時、母と二人で
京都の大学に通っていた姉の引越しの手伝いに行った
その頃ではまだ珍しかった金属ドアの現代で言うマンションに姉は住んでいて
手伝いに行ったのはいいが
すでに姉の男友達の学生が大勢手伝いに来ていて
僕と母はなす事が無かった
それにしても姉が両親に随分とかわいがられていた事が姉の京都での生活に垣間見た
その頃、兄も京都で浪人をしていて
兄の住まいはの古い下宿屋で賄付きで家賃は確か5万円だと思った
部屋は引き戸で区切られていて、すぐ近くに鴨川が流れていた
母と京都の何処に行ったか記憶は無いが
たぶん、どこにも行かなかったと思う
母はただ二人の子供の生活を見ただけで帰路に着いたはずだ
両親は一途に働いて子供たちの仕送りを稼いで
自分達の余暇を考える暇など無かったように思う
僕も高校を出ると京都寄りの大阪に住み
女の子と初めてのデートは清水寺
あの時、確か‘ニシンそば,を食べたんだ
その時の女の子にはすぐふられたから
あれから一度もニシンそばは食べて無い
祇園祭りの宵宮に友達と繰り出した
暑い日盛りから次第に日が暮れて
四条通に浴衣を着た女の子達がそぞろ出て来て
それこそ、橙色に輝く提灯に照らし出された雑踏を駆け回って
鴨川の土手まで歩いたんだ
コンチキチン、コンチキチンと鐘の音が響き渡っていて
青春の魂も燃え上がるようなひとときだった
夏が来ると
ふとそんな昔の情景が頭をよぎる
もう、はるか遠い昔
今日のお昼も〇〇ちゃんとデニーズで
知り合いのじいさま、ばあさまが大勢いた
皆、合コンかな
もう活気あふれていて
ふだん無口なトメじぃがしきりに知らないばあさまを口説いて?いた
わし・・・
ふと思うたんだが
わしがこの年代になったらファミレスなんか行けないだろう
2000万円どころか貯金なんて無いし
ましてや国民年金だけ
わしがこのじいさまばあさまの年代になった頃は
餓死か乞食に成り下がるか
そいでも
今年になってここの店で飲み食いする勘定は
誰と来たって全部わし持ちなんやけど
金も無いのに見栄だけ昔のままなんよ
今年も鉢植えのユリが花を咲かせました。
ちゃんと律義に毎年この時期に花を咲かせます。
もう私は花を咲かせることはありません
枯れる一方ですわ