HIROZOU

おっさんの夜明け

師走の思い出

2020-12-12 07:50:35 | メモリー

あれは40年も前か・・

僕がまだ10代だった頃、、、

かわいい盛り

もう最近のジャニーズに交じっていても群を抜くぐらいのかわいい男の子だった

見せてやりたいぐらいやけど

(誰にじゃ!)

(今はしょうべんたれのジジじゃ)

かわいくって明るい性格だったんだけど

根が怠け者だったんだな

それがその後の人生に災いするんだな

うんうん

そうそう、10代最後の年の暮れ

そのかわいい男の子は大阪の茨木に住んでいたんだけど

毎日、京都の四条河原町に通っていた

大学に?

(いえいえ大学は落ちてばかりだった)

アルバイト?

(いえいえ働くのは嫌いやった)

じゃー何をしに?

パチンコ、打ちにですわ

毎日毎日、河原町までパチンコ打ちに

河原町通りはピューピュー北風が吹いていた

地下の阪急の駅から出るとただまっすぐにパチンコ屋に向かう

肩を落としてポケットに手を入れて

革ジャンもどきのジャンパーにスリムのジーパン

いつも10時開店前に並んでいたのは僕だけだった

デパートのシャッターが開きチラホラと観光客が鴨川を目指して歩いてた

お土産物屋のかわいい女性店員さん

頭に白い三角巾かぶってまんじゅうを並べてた

おたべが大好き

漬物やさんはあでな着物姿

京漬物をお土産で貰うといつも半分は残るんだよな

僕はただ、ぼぅーと立ってパチンコ屋が開くのを待ってた

スマートボールのお気に入りの台を狙って

まだその店にはスマートボールの台があった

ミカドと言う名のそのパチンコ屋の前に小さな石碑があって

坂本龍馬と中岡慎太郎の終焉の場所と書かれていた

有名な近江屋のあとだ

国の将来を憂い命を賭して国事に奔走した二人

彼らの亡くなって100年後その同じ場所に

同郷のかわいい青年は毎日パチンコ屋が開くのを待っていた

時には弁当を持って行った

にゃんこめしだ

パチンコの合間に四条大橋の橋のたもとまで行って

ぴゅーぴゅー川風が吹き付ける鴨の土手で弁当を食べた

その頃は四条大橋の下に小屋を建てて住んでる人がいて

何故だかとても親近感が持てた

たまにスマートボールを終了(この台はこれ以上は玉を出しませんよと言う意味)さすと

新京極のうどん屋に走った

あの頃の京都のうどんと言うとコシのぬけたふにゃふにゃだった

それでもうまかった

コメント
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