現在の野党やマスコミの〇〇教会の報道を聞いていると
後だしジャンケンの権化だな・・
とか思ってしまう
アベさんの事件が起きるまで
政治と〇〇教会のつながりを報道する記事や番組はほとんど無かったし
ましてや教会を批判する報道なんて無かった
霊感商法や集団見合い
桜田淳子さんや山崎?なんとかさんの結婚とか
事実としての報道はあっても
コメンテイターや記者の批判なんてほとんど出なかったはずだ
桜田淳子さんが数年前に再デビューの話が出た時
きとう弁護士がテレビに出て淳子さんのデビュー反対を訴えていたのを見て・・
「もう、そろそろ許したれよ・・」
と思ったのは僕だけじゃないはずだ
何だか・・人生
詰んでしもうたな
親元を離れて大阪で暮らした2年ほどはあかんかったけど
20歳で上京してからはけっこうスムーズだった
18~9歳で大阪にいた頃
きったないアパートに住んで団体に所属していなかったので
彼女どころか友達もそんなに出来なかった
そんな頃、パチンコ屋で同い年のタケシに出会った
僕と同じプー太郎で気弱な僕よりもっと気弱だった
いつもスカンピンだった僕らは
「バイトでもするか、どこぞに楽な仕事無いやろか」と話していたら
たけしが倉庫番の仕事を探してきた
現在で言うピッキングって言う奴か
「倉庫番てたぶん倉庫の番なんやからたぶん楽やで」
それで労働意欲のまったく無い2人がバイトを始めて
たけしが2日目に
僕が3日目にクビになった
クビにされた、たけしはショックで泣いていた
僕は全然、気にしなかった
たけしが
「やっぱりわしら他人に使われるのはムリやで」
「軽トラ買うて百姓から野菜仕入れて団地で売ろうや」
とか言っていた
たけしとは喫茶店でよく女の子によく声をかけた
「僕らと一緒にちゃ~飲みましょうよ」
とか
ひっかかる娘なんていなかった
僕はこの先また学校に入るつもりだったけど
たけしはどこかに就職を考えていた
そんな時、たけしの的屋の叔父さんがたけしの就職口を探してきた
〇〇興業と言う会社の電話番だった
「電話番ちゅー事は事務仕事やな、そんなの出来るんか?」
と聞いたら
「なんでも最初は掃除や雑用もやるらしいで」
「仕事着も制服も無いしジャージでええそうや」
あくる年僕は上京してたけしとの付き合いも無くなった
たけし・・
どうしているだろう