こんな本が出てたんだ
酒飲みに写真を眺めるだけだとキツイね
酒場放浪記には何度か言った店も何件か出ていたけれど
ウルトラ貧乏人!の今の状況だと本でお店を知っても行かれないね
吉田類さんって高知県出身なんだけれど育ちはほとんど京都なんだよね
だけれど酒飲みの血はDNAがなせる業なんだね
他所様のブログを見て初めて知った方だ
絵本作家さんで僕と同郷の高知県の方なんだけど絵本をみると懐かしくてどこか郷愁を誘う作風ですね
大人の絵本だね
高知市には昔から日曜市と言う市が道路端に開かれ
何百店と言う屋台のお店が並んでそれこそ包丁から漬物、お菓子まで何でも売られている
実は僕は一度も日曜市に行った事が無いんです
高知県東部の徳島県との県境の人間にとって身近な都市は徳島市であって高知市は遠い所なんです
それでも高知の日曜市は子供の頃、一度は行ってみたい願望で憧れだったんだね
新社会人になって最初の職場は常磐線沿線でした
上野駅は金の卵の集団就職や大きな風呂敷を担いだ行商のおばさん、東北への夜行列車
古くは戦災孤児に復員兵と言ったすこぶる暗いイメージを持っていました
駅の中も天井が低くて人と人の距離が近くて今でも・・(どうにかならんかな?)と思います
だけれど東京駅とかと違って上野駅はいろんな人の思い出がいっぱい詰まった駅なんでしょうね
夜行列車で故郷に帰省する・・
これも憧れでしたが夜行列車も一度も乗った事がありません
昨日の土曜日は暇な仕事を休んで三浦半島に向かいました。
浦賀には初めて行きました。ペリー提督が来航したところですね、
公園にモニュメントがあって忠魂碑かな?と思ったらペリー来航の記念碑でした
この浜にペリーが上陸したんですね170年ほど前ですがそれほど昔とは思えません
バスの都合で10分程しかここにいられませんでした。
昨日は京急電鉄の三浦半島の電車バス一日乗り放題の切符を買ったので
久里浜からいつもの三崎口に向かい小網代の森に行きました。
三浦半島の観光スポットでどこが一番好きかと問われると僕は断然ここです
野鳥の声がうるさいほど森中に響きあっています。
(その割に空いてるね)
森を抜けると小網代湾です。昨日は海辺で酒を飲んで昼寝をして来ました
ここに小さな神社があって白髭神社と言います。
僕が小学生の時にNHKの少年ドラマシリーズに「つぶやき岩の秘密」と言うのがありました。
大好きな歌手の石川セリが主題歌を歌っています
ドラマの中でその頃の僕と同じ年ぐらいの少年が海で伝馬船を漕いでいるのを見て・・
(へぇー都会の子供も伝馬船を漕げるんだ・・)とか思いました
あのドラマにここの白髭神社が頻繁に登場した事を覚えています。もう50年も前ですね
この後、三崎口からバスで逗子葉山駅から帰って来ました。
疲れた
ここ数日テレビで渋谷の桜坂が何度も取り上げられている
なんでもここの桜見物に大勢の外国人観光客が詰めかけ傍若無人な振る舞いをしているとか・・
桜坂・・
そんな名前だったっけ
今から40年も前僕はこの坂を朝晩上り下りした
朝は渋谷駅から地下鉄銀座線で虎の門まで通勤して夜、桜ヶ丘のてっぺんにある専門学校に通った
住まいのアパートもこの坂から5分の別の坂の上
この坂を上って降りてまた坂を上る
坂の途中まだ当時は少なかったコンビニがあって
コンビニの前におしゃれな輸入雑貨店があって店の名前はフルハムロード
ロス疑惑の三浦知義さんが美人の奥さんにやらしていた
坂を下り切ると皇室御用達の弁当屋があって学校の入学前に3日ほど皿洗いをした
弁当屋の近くに蕎麦屋があって渥美清さん御用達だそうだったけれど
店の常連の僕は渥美さんに一度も会わなかった
高台のアパートの玄関から渋谷の夜景と母校のビルが見えた
20年ほど前、母校のビルは大手不動産会社と提携して当時渋谷一高いビルに変貌した
今朝のニュースを見ていたら「子育て支援金」の話が出ていた
ほうほう
それで気になってネットで調べると‘子育て支援事業,ってけっこうあるんですね
これを見て・・
インパール作戦の事が頭をよぎった
食料補給などの兵站を軽視した無謀な作戦を立案して多数の餓死者や病死者をだした作戦だ
作戦中、食料が無くなって疲弊した前線に後方から食料を送るんだけれど
これがコメの入ったズタ袋を前線にリレー形式に兵士が担いで送る
しかし前線にズタ袋がたどり着くまでに所々でコメの中抜きに合う
そしてようやくコメのズタ袋が前線にたどり着くと中身はほとんど入って無いんだ
子育て支援金もほんとに必要な人にお金やサービスがたどり着くんだろうか
日曜日に行った芝の大門です。
昨日、ここに載せた安養院はすぐそばにあります。
安養院のほんの隅っこに土佐藩士の墓石が積み重ねられてありました。
ここのお寺は何かしら土佐藩と関係が深かったんでしょう
遠く土佐から江戸にやって来て故郷に葬られることなく江戸の片隅に葬られた侍たちの墓石
私も土佐を離れてたぶん異郷に果てるでしょう・・
私の場合たぶん十中八九墓石も無く共同墓地に葬られるでしょう
我が家の庭に今年もチューリップが花を咲かせました
いつ植えたやらも忘れましたが花は年々小さくなりますがちゃんと花を咲かせます
昨日は芝の増上寺に行きました
初めて増上寺の鐘の音を聞きました
さすがに凄まじい音です
昔テレビで見た東京タワーとちょっと先端が違うような
昨日は去年お江様のお墓に勝手に願掛けてその事が成就?したのでお礼参りに来ました
昨日の増上寺は桜見物と各種イベントが開かれ参拝する人でごった返していましたが
ここ徳川将軍墓所だけはひっそりとしていました
(入るのに500円かかるんです)
そしてここのお寺にもお参りして来ました。
このお寺の片隅に壊れた墓石が4っつ並んでいます。
忌日は皆、明治3年1月の同じ日
この4人は20歳前後のエリート侍達で英国留学も決まっていました。
4人は酒に酔ってあばれそれを注意した他藩の侍を死傷させると言う事件を起こしました
それで藩から下された裁定は4人とも切腹でした
もう世の中が明治に改元されて3年、藩の名も土佐藩から高知藩に変わっていました。
たぶん侍最後の切腹でしょう
生きていれば出世して歴史に名を残したやも知れません
酒でしくじるのは高知県人の専売特許なんです。
僕も切腹するまでは行きませんが恥の山を背負っています。
帰りに浜離宮と上野公園に寄ったんですが・・
上野は凄まじい人出で写真も撮らずとっとと帰りました