羽生市下川崎の田中神社。行田羽生のオアシスイオンモール羽生の南東500m付近に鎮座している。イオンモールが出来て10年以上経つが、こうして参拝するのも縁あってのこと。高鳥邦仁先生の著書「古利根川奇譚」漂着伝説編に記されたところだ。『埼玉の神社』によれば社記に『寛正二年古利根川に白幣流れ来る。土人水野貞重これを挙げて見るに三柱の神号記せり。即ち武甕槌󠄀命、少彦名命、天穂日命なり、白幣揚げし所圦樋あり称して田中圦という故にこの地を田中耕地とし、水野何某社殿造営し田中神社と称す』すなわち水野家の氏神であった社が後に村鎮守になったとされている。高鳥邦仁先生によれば圦樋を社の由来にしていることから治水灌漑の神として祀られたと考えられるという。
神社の側道には南方用水路が流れていて、近くにあるむさしの村付近には古利根川である合の川も流れている。字名川崎は川に突き出した先端の意味であり古くから合の川(利根川)の影響を受けたという。
境内社には八坂社があり明治期に今上耕地から移転している。また庚申社と並び毘沙門天が祭られている。毘沙門天の勧請由来は記述が見当たらないが、羽生城主は上杉謙信に忠義を尽しておりそのつながりが推測される。
現在見られなくなってしまったようだが、一間社流造の本殿後ろ壁には『大べべし申候』との墨書きがあったそうだ。古い信仰に基づくもので、祭りの晩若い男女が神社の森に集まり人数が多いと豊作になるともいわれていた。
また十一月十日の十日夜(とうかんや)には『十日夜、忍の鉄砲に負けるなよ』と子供が村中を廻り藁鉄砲を撃ったともいわれている。忍領と争いがあったころの名残だろう。
古い逸話を残しながら周囲の開発を静かに見守る鎮守の杜があった。