皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

ため口と人の受け入れ

2018-11-27 20:11:23 | 心は言葉に包まれて

秋も深まり、空気が澄んだ日には富士山もその姿をひときわ美しく現してくれる。

北武蔵の片田舎でもここ数年で多くの外国人の姿を目にするようになった。多くの職場でアジアだけではなく、南米やアフリカ方面からも多くの人々が来日し仕事をしているのが現実だ。国会では衆議院において外国人労働者の受け入れを拡大する入管難民法改正案などが可決されたようだ。制度設計があいまいで将来に禍根を残すとの批判が野党から上がっているようだが、政府は入管法そのものがこれまですべての在留資格の詳細な運用を法律ではなく省令などで対応してきたとしてその大元の法律改正を急いできた。要するに大まかな枠組みを作って、問題があればその都度対応してきたということだろう。人口減少社会において、諸外国から働きに来る人に対して都合よく運用するだけでよいのか考えどころだが、あいまいなところを残した方が都合の良いことが多いのだろう。よく言えば臨機応変。悪く言えばその場しのぎの問題先送り。立場によってとらえ方は違うだろう。

 普段の自分の職場(流通業)においても外国人留学生を受け入れている。仕事の覚えも早く、とても優秀な若者だ。細かい作業は日本人のパートタイマーが教えている。言葉の問題も日々一緒に働いているとそれほど感じなくなるが、どうしても越えられないのが言葉遣い、特に敬語の問題だ。コミュニケーションをとるのに丁寧な言い回しを一生懸命しているが、所々でいわゆる「ため口」になってしまう。

こうしてああしてと指示しているうちに、「わかりました」が「わかった!」となってしまう。勿論そうしたため口が気分を害するより、むしろ笑いとなることの方が多い。言葉遣いは大事なことだが、外国人との意思疎通においてそれが重要視されることは減ってきているように思う。

「ため口」とは年長者など目上にあたる人に対して相手を対等として扱った言葉遣いとされる。1960年代に広がったようだ。同級生のことを「タメ」といい仲間意識を表す。その語源は一説にサイコロの「同目」からきているという。所謂ぞろ目のことだ。広がる過程でどう目⇒とうめ⇒ためとなったらしい。

ため口は仲間意識を感じさせるらしい。管理者にとっては少し厄介な問題だ。丁寧に敬語で話すだけではダメ。コミュニケーションとはあまり肩ひじ張らずその人の心に通じるかにかかっている。

コメント
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