皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

下川上 愛染堂

2018-11-06 19:14:34 | 神社と歴史

 立冬を迎える季節に本降りの雨の一日だった今日、熊谷市下川上の愛染堂に立ち寄った。以前熊谷市中奈良に勤めていた頃、この近くを通っていた。郷土史に興味もなく、ただ毎日会社までの車をただひたすら走らせた日々を思い出す。

 明治22年(1889年)町村制施行により池上村、下川上村、上池守、下池守、中里村、小敷田、そして皿尾村の7村が合併し、北埼玉郡星宮村が成立した。当時村内を流れる星川と古宮用水があり、一文字をとって『星宮』村としたという。また7つの村が合併したことから、北斗七星になぞられたともいう。昭和30年に行田市に編入。同年10月に池上、下川上は住民の希望により、熊谷市に編入されている。

現在でも両市に『星宮小学校』があり、昭和58年に行田市星宮小が現在の場所に移転するまで、僅か300mしか離れない地に両校は併存していた。私自身その行田の旧校舎に通った最後の世代だ。今では行政区の垣根を超え毎年7月に七夕集会として両校の交流が続いているという。

宝乗院愛染堂の愛染明王は、9世紀のはじめ、一本の銘木から彫られた仏像がこの地に流れ着いたとの伝承があるという。現在の仏像は江戸時代の前期の作で熊谷市の指定文化財となっている。

「愛染」と「藍染」との語呂から関東一円の染め物業者の信仰を集め額の奉納や修理修繕が重ねられ、庶民信仰の文化財として今に伝わるという。愛染明王は密教における尊像の一つで、大日如来を本地とする明王といわれ、息災と得福をもたらしてくれるという。全身が真っ赤なのは太陽と大慈悲の象徴ともいわれる。

村の禁忌にトウモロコシを作らないとされる。

その昔下川上の愛染様と江南の野原文殊様が戦をした際、愛染様は負けてしまい、帰る途中にトウモロコシの葉で目を傷めてしまったという。

村人は愛染様の怒りにふれぬようトウモロコシをけして植えることはなかったという。それでもおさまらない愛染様はお堂の前三間を焼き払ったとされている。

とうもろこしを植えてはならないという禁忌は各地の残っている。おもな言い伝えに殿様、領主が目を突いたなどというのが多い。栽培効率が良く、米からの転作を戒める意味合いがあったのではないかと考えられる。

隣接する熊谷星宮公民館の前にはきれいな秋桜が雨に濡れていた。

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