気象予報士を目指す事になる永浦百音こと清原果耶の透明感と、若いのに腰の座った演技がとにかく素晴らしい。父・内野聖陽、母・鈴木京香、祖母兼ナレーションに竹下景子とキャストもとにかく豪華で、百音が生まれ育った気仙沼の亀島は一体どれだけ顔面偏差値が高いのか?と思ってしまう(笑)。
百音は森林組合職員として登米町で働くのだが、豊かな緑にドローンを駆使した映像も大層美しい。
この「超豪華キャストと美しい映像」がAK(東京)制作の伝統なのだが一方で得てして「なつぞら」のようなヌルい作品になってしまい、ヘタをすると「半分、青い。」のように支離滅裂なストーリーに陥ってしまう事もあるのだが、そうならない事を願う。
反対にBK制作はとにかくキツい大阪弁に汚い画像、父親は揃いも揃ってクズだったりするのだ(笑)。
(余談だが『おちょやん』のテルヲは朝ドラ史上に燦然と輝く史上最悪のクズ父だ。それを演じ切ったトータス松本に私は最大級の賛辞を贈る)
さてその「おかえりモネ」は宮城県を舞台にしており、東日本大震災から10年の節目として制作されているだけに3.11をどう描くか?に私も大いに注目していたのだが、ついに今朝その時を迎えた。
現在の設定は2014年であり、百音が高校を出て就職して初めての盆休みに亀島に帰省。そこで再会するクラスメイトらとの昔話の回想、という振り返り方だ。
2011年の3/11、吹奏楽部でサックスを吹いていた百音は音楽の進学校を受験するも不合格の発表となり、落ち込んでいるところを父にランチに誘われ、訪れた店がジャズのライブハウスのランチ営業。
そこでピザを食べているうちに演奏が始まり、百音が演奏に釘付けになっているところで時計が14:46になる瞬間で昨日は終わり。その時から私はその瞬間をどう描くのか、かなりザワついていた。
そして今朝。
やはり被災者に配慮したのか、いきなり3.11の夜10時からのスタート。
すなわち地震や津波のシーンは、それを連想される描写を含め全くなかった。
翌朝、夜明けと共に高台から燃え盛る気仙沼の街を見下ろし、船で亀島へ戻って自衛隊が懸命に物資を運んだりしているシーンがあるくらいであった。
百音の妹やクラスメイトらは全員学校の給食室に居て無事だった。
…と、ここまでがあくまで回想としての描写であり、物語はすぐに2014年夏へ戻ってしまった。
別に「震災10年なのだから、もっとシビアな描写をせよ」とまでは言わないが、この作品が震災10年の節目として制作されたという割には、少々ハショリすぎではなかろうか。
唯一、重く響いたのは父・耕治が2011年夏に落ち込む百音に
「もう一度、音楽をやらないか?」
と持ち掛けたところ
「…音楽なんて、何の役にも立たない…」
というつぶやきだった。
我が尊敬してやまない「歌う人間国宝」山下達郎もこの年のツアーのMCで
「我々ミュージシャンも何が出来るか考えましたが、私は全ての人を励ましたり癒やしたりする才能はありません」
と語っていた。
このセリフを、百音自身が回収する時は来るのだろうか…?