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『会津八一』さんの歌碑、頭からすっかり忘れておりましたね。
そういえば近くの『秋篠寺』の歌碑はまだ訪れておらず、先月、
所用で平城公民館へ寄る前、小一時間ほど訪れるつもりが・・・
歩みが遅かったのか電車が一本遅れになり、さらに裏側からの道
うろ覚えの頭の中の地図を頼りに歩いて行き、回り道したみたい
時間がなくなり、秋篠寺・東門前を通っただけだけに。
東門9/25、10/19
秋篠寺全体図(パンフレットより)
今回は同じ轍を踏まないよう、余裕をもって出かけました。
バス道の東門、すこしモミジが紅葉したようです。
左手の細い道を進むと、開山されたとされる善珠様のお墓、
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メモ)
秋篠寺は、奈良時代末期780年頃、光仁天皇・桓武天皇の勅願寺
でも詳細は不明で井上内親王と他戸親王の怨霊を鎮めるためとも
平安時代末期に戦火により七堂伽藍の大部分が焼失、鎌倉時代に
現本堂(国宝)が講堂の跡に再興されたが金堂や東西両塔の跡は
雑木林に。なお本堂には25体の仏像が安置され、目を奪われる。
本尊は薬師三尊像、左端に堀辰雄の″このミュウズの像″の名文
により著名になった諸技諸芸の守護神の伎芸天(重文)様、頭部
は天平時代の乾漆造りで造形の優美さと写実性は素晴らしい。
さて住宅地の細い道を廻り込むと赤い鳥居が見えます。
南門前すぐ横にあり、秋篠寺の元鎮守神「八所御霊神社』で、
案内板では春日大社の末社三十八所神社の本殿の旧社殿で、
室町時代のもので、早良親王(崇道天皇),伊予親王,藤原夫人、
橘逸勢,文屋田宮麿,藤原廣嗣,吉備大神,大雷神天皇をお祀りに
八所御霊神社
そしてその右手には秋篠寺南門がひっそりと。
南門
門から苔むした林に囲まれた参道が伸びております。
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参道を15m程の左側に、やや黒い歌碑がぽつんと佇んでおります。
八一と小さく彫られており、会津八一の歌碑に違いありません。
秋篠寺で詠まれた三首のうち第3首でやっとお会いできました。
『あきしの の みてら を いでて かへりみる
いこま が たけ に ひ は おちむ と す』
秋篠の み寺をいでてかへりみる生駒がたけに日はおちむとす
鹿鳴集・南京新唱(第49首)より
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今の秋篠の里は競輪場や新興住宅街になり、面影はない。
廻り込み裏には「昭和庚戌」と、建立は昭和45年(1970年)に
裏
秋篠寺で詠まれたの残り2首を記すと、
第1首)
「たかむら に さし いる かげ も うらさびし
ほとけ いまさぬ あきしの の さと」
東塔跡
第2首)
「まばら なる たけ の かなた の しろかべ に
しだれて あかき かき の み の かず 」
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鐘楼付近の白壁と柿
秋篠寺にはあと二つ歌碑があり、どちらも伎芸天を詠まれる。
JR東海より
『諸々のみ佛の中の伎芸天 何のえにしぞわれを見たまふ』
川田 順
表
裏
『贅肉 なき肉置の 婀娜に み面もみ腰も ただうつつなし』
吉野秀雄
「あまりじし なきししおきの たをやかに
みももみこしも ただうつつなし」
表
裏
さあ、本堂にて仏様方にお会いしましょう。
そういえば近くの『秋篠寺』の歌碑はまだ訪れておらず、先月、
所用で平城公民館へ寄る前、小一時間ほど訪れるつもりが・・・
歩みが遅かったのか電車が一本遅れになり、さらに裏側からの道
うろ覚えの頭の中の地図を頼りに歩いて行き、回り道したみたい
時間がなくなり、秋篠寺・東門前を通っただけだけに。
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秋篠寺全体図(パンフレットより)
今回は同じ轍を踏まないよう、余裕をもって出かけました。
バス道の東門、すこしモミジが紅葉したようです。
左手の細い道を進むと、開山されたとされる善珠様のお墓、
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メモ)
秋篠寺は、奈良時代末期780年頃、光仁天皇・桓武天皇の勅願寺
でも詳細は不明で井上内親王と他戸親王の怨霊を鎮めるためとも
平安時代末期に戦火により七堂伽藍の大部分が焼失、鎌倉時代に
現本堂(国宝)が講堂の跡に再興されたが金堂や東西両塔の跡は
雑木林に。なお本堂には25体の仏像が安置され、目を奪われる。
本尊は薬師三尊像、左端に堀辰雄の″このミュウズの像″の名文
により著名になった諸技諸芸の守護神の伎芸天(重文)様、頭部
は天平時代の乾漆造りで造形の優美さと写実性は素晴らしい。
さて住宅地の細い道を廻り込むと赤い鳥居が見えます。
南門前すぐ横にあり、秋篠寺の元鎮守神「八所御霊神社』で、
案内板では春日大社の末社三十八所神社の本殿の旧社殿で、
室町時代のもので、早良親王(崇道天皇),伊予親王,藤原夫人、
橘逸勢,文屋田宮麿,藤原廣嗣,吉備大神,大雷神天皇をお祀りに
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そしてその右手には秋篠寺南門がひっそりと。
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門から苔むした林に囲まれた参道が伸びております。
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参道を15m程の左側に、やや黒い歌碑がぽつんと佇んでおります。
八一と小さく彫られており、会津八一の歌碑に違いありません。
秋篠寺で詠まれた三首のうち第3首でやっとお会いできました。
『あきしの の みてら を いでて かへりみる
いこま が たけ に ひ は おちむ と す』
秋篠の み寺をいでてかへりみる生駒がたけに日はおちむとす
鹿鳴集・南京新唱(第49首)より
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今の秋篠の里は競輪場や新興住宅街になり、面影はない。
廻り込み裏には「昭和庚戌」と、建立は昭和45年(1970年)に
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秋篠寺で詠まれたの残り2首を記すと、
第1首)
「たかむら に さし いる かげ も うらさびし
ほとけ いまさぬ あきしの の さと」
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第2首)
「まばら なる たけ の かなた の しろかべ に
しだれて あかき かき の み の かず 」
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鐘楼付近の白壁と柿
秋篠寺にはあと二つ歌碑があり、どちらも伎芸天を詠まれる。
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『諸々のみ佛の中の伎芸天 何のえにしぞわれを見たまふ』
川田 順
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『贅肉 なき肉置の 婀娜に み面もみ腰も ただうつつなし』
吉野秀雄
「あまりじし なきししおきの たをやかに
みももみこしも ただうつつなし」
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さあ、本堂にて仏様方にお会いしましょう。
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