そんなタイトルだと、なんだか漱石の『こころ』みたようですが、別段『こころ』について書くわけではありません。先生と私、とはすなわち、館長と私。
先日、とある展覧会場で前館長に偶然出会いました。体調を崩されて退任されたので、その後心配でしたが、大変お元気で。フランスにも取材に行かれたとのことで、すっかり以前の元気を取り戻されたようです。
久しぶりにお会いして、積もる話は山ほどあり、何をどうお話していいかとまどう私。そんな私を察したのか、前館長(以下先生)は近頃の注目している展覧会や自身の創作活動について話をして下さいました。やはり…強く実感したのがグローバルな視点で美術について語っておられること。私は自分の未熟さと視野の狭さを痛感。帰りは車の中で、ずっと考え込んでしまいました。
学芸員とはどうあるべきなのだろう、求められているのは何だろうか、そうして自分はどうあるべきなのだろう…頭のなかで錯綜します。ただ、うまくは言えないのだけれど、私が学芸員になってからずっと頭の中にあった言い知れぬ違和感のかたちを今つかみかけているような気がするのです。もう少しでわかりそう、そのような感覚です。
なんだかいつも以上にまとまらない文章でした。ブログを読んでくださった方、申し訳ありません。書いている私自身が錯綜しているので、こんな文章になってしまいまいした。今日という日、私にとって大きな意味の或る一日である…そんな思いがします。
先日、とある展覧会場で前館長に偶然出会いました。体調を崩されて退任されたので、その後心配でしたが、大変お元気で。フランスにも取材に行かれたとのことで、すっかり以前の元気を取り戻されたようです。
久しぶりにお会いして、積もる話は山ほどあり、何をどうお話していいかとまどう私。そんな私を察したのか、前館長(以下先生)は近頃の注目している展覧会や自身の創作活動について話をして下さいました。やはり…強く実感したのがグローバルな視点で美術について語っておられること。私は自分の未熟さと視野の狭さを痛感。帰りは車の中で、ずっと考え込んでしまいました。
学芸員とはどうあるべきなのだろう、求められているのは何だろうか、そうして自分はどうあるべきなのだろう…頭のなかで錯綜します。ただ、うまくは言えないのだけれど、私が学芸員になってからずっと頭の中にあった言い知れぬ違和感のかたちを今つかみかけているような気がするのです。もう少しでわかりそう、そのような感覚です。
なんだかいつも以上にまとまらない文章でした。ブログを読んでくださった方、申し訳ありません。書いている私自身が錯綜しているので、こんな文章になってしまいまいした。今日という日、私にとって大きな意味の或る一日である…そんな思いがします。