学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

劉生晩年について

2010-08-04 21:32:43 | その他
一週間ほど前から、岸田劉生の作品について勉強をしています。どんな特徴があるのか、何から影響を受けているのか。机の上に画集を開き、その脇にルーズリーフを置いて、メモを取りながら進めています。劉生は意外に調べやすいかもしれません。なぜなら、彼の克明な日記と随筆が残されているから。自らがゴッホやセザンヌ、北方ルネッサンス、デューラーなど、影響を受けた画家たちを述べているのです。ただ、よくわからないことが…。そう、晩年に描いた一連の麗子像、於松像です。

大正6年、肺結核と診断された劉生は神奈川県の鵠沼に住まいを移します。劉生は医師から外出をひかえるよう言われていたため、家の中で静物画をかなり描きました。(体調が良くなってからは戸外写生もしたようです)そして翌年から、自分の娘麗子と友達於松をモデルに絵を描き始めます。これが劉生の代表作でもある麗子像ですね。

この麗子像について、どの画集のコメントを読んでも、釈然とせず。劉生は麗子や於松をモデルにして何を表現したかったのかなと。作品解説にはきまって「東洋の美」、「デカダンスの美」などと書いてありますが、どうもいまいちわからず。もっと根本的なところがあるような気がして。これは私の当てにならないカンですが…。この疑問を解消するために、さきほどから劉生の日記をひっくり返しているところです。劉生の言葉を足がかりに、私自身で考えてみたいと思います。果たして答えがでますことやら?

明日も暑い一日になりそうです。体調には気をつけて過したいものですね!