私が小学生だったとき、家族で北海道に旅行へ出かけたことがありました。おぼろげな記憶ながら、旅先でアイヌに関する資料を展示した博物館へ足を運んだ覚えがあります。アイヌの晴れ着が壁面にずらりと並んでいて、それまで見たこともない直線と曲線の絶妙なバランスで成り立つ独特の文様に目を奪われたのです。こういう服を身にまとっていた人たちはどんな暮らしを送っていたのだろうと想像をめぐらせました。けれど、その想像は長く続かず、というのは、外の出店でサザエのつぼ焼きを売っており、父にねだって食べさせてもらったところ、ほっぺたが落ちそうなほどのおいしさ。私の想像はどこかへ飛んでしまったのです。所詮、私は子供だったのでした(笑)
現在、茨城県立歴史博物館では「イカラカラ アイヌ刺繍の世界」展を開催しています。水戸とアイヌに果たしてどんなつながりがあったのか、興味が湧いたので足を運んでみた次第です。解説によれば、江戸時代、水戸藩は蝦夷地探検に並々ならぬ関心を持っていたそう。特に二代藩主光圀、九代藩主斉昭は蝦夷地の調査を積極的に実施したとのこと。調査の動機には、光圀なら北方警護、交易など、斉昭は蝦夷地経営のためであったそうですが、やはりまだ未開の地であった蝦夷をもっと深く知りたいという知的好奇心があったのは間違いないのでしょう。
展示室で私たちを最初に迎えてくれるのは、水戸藩が蝦夷地探検で持ち帰ってきた現存する最も古いアイヌの衣装。黄土色の地に紺の刺繍が施され、素朴な美しさを今に伝えてくれます。こうしたアイヌの衣装が会場にずらりと並び、表と裏から観賞することができるように展示方法も工夫されています。文様はどこか呪術的な感じを抱かせますが、やはり魔除けの意味が込められているのだそう。ただし、具体的に何を表したものなのかはいまだにわかっていないそうです。これが、本州の着物であれば鶴、梅、桜、宝尽くしなどの縁起物が図案化されるわけですね。
文化の違い、といえばそうなのだけれど、同じ人間同士、自分たちの身辺を飾る意識は同じです。展示室には、アイヌの人たちが身に着けていた首飾り、耳飾り、腕飾りの装飾品のほか、木を刃物で彫りこんだ鞘、糸巻などが展示されています。それらはいずれも素朴で美しく、そして力強く、広大で寒さ厳しい大地に暮らす人々の正直で逞しい魂や生命が吹き込まれているように感じられました。
北海道へ行かない限り、アイヌに関する資料をまとめて見られる機会はそうそうないので、とても大切な時間を過ごすことができました。資料を見ているうちに、子供の時分に行った北海道旅行のことを思い出してみたり。
今の時期なら、茨城県立歴史館を見たあと、梅が満開の偕楽園へ寄れば、きっと二倍楽しめます。おすすめの展覧会です。
現在、茨城県立歴史博物館では「イカラカラ アイヌ刺繍の世界」展を開催しています。水戸とアイヌに果たしてどんなつながりがあったのか、興味が湧いたので足を運んでみた次第です。解説によれば、江戸時代、水戸藩は蝦夷地探検に並々ならぬ関心を持っていたそう。特に二代藩主光圀、九代藩主斉昭は蝦夷地の調査を積極的に実施したとのこと。調査の動機には、光圀なら北方警護、交易など、斉昭は蝦夷地経営のためであったそうですが、やはりまだ未開の地であった蝦夷をもっと深く知りたいという知的好奇心があったのは間違いないのでしょう。
展示室で私たちを最初に迎えてくれるのは、水戸藩が蝦夷地探検で持ち帰ってきた現存する最も古いアイヌの衣装。黄土色の地に紺の刺繍が施され、素朴な美しさを今に伝えてくれます。こうしたアイヌの衣装が会場にずらりと並び、表と裏から観賞することができるように展示方法も工夫されています。文様はどこか呪術的な感じを抱かせますが、やはり魔除けの意味が込められているのだそう。ただし、具体的に何を表したものなのかはいまだにわかっていないそうです。これが、本州の着物であれば鶴、梅、桜、宝尽くしなどの縁起物が図案化されるわけですね。
文化の違い、といえばそうなのだけれど、同じ人間同士、自分たちの身辺を飾る意識は同じです。展示室には、アイヌの人たちが身に着けていた首飾り、耳飾り、腕飾りの装飾品のほか、木を刃物で彫りこんだ鞘、糸巻などが展示されています。それらはいずれも素朴で美しく、そして力強く、広大で寒さ厳しい大地に暮らす人々の正直で逞しい魂や生命が吹き込まれているように感じられました。
北海道へ行かない限り、アイヌに関する資料をまとめて見られる機会はそうそうないので、とても大切な時間を過ごすことができました。資料を見ているうちに、子供の時分に行った北海道旅行のことを思い出してみたり。
今の時期なら、茨城県立歴史館を見たあと、梅が満開の偕楽園へ寄れば、きっと二倍楽しめます。おすすめの展覧会です。