もうそろそろお盆の時期になりますね。
大学1、2年生のとき、民俗学の授業で、実家の御盆行事を調べるよう、課題を出されたことがありました。あいにく、私の家には仏さまがおらず、よってお墓もないので、山形に住む母方の祖父母の家へ行き、そこで聞き取りをする事にしたのです。
私は、さぞ、いろいろな話を伺えるものだろうと期待していたのですが、祖父母の答えは「今は御盆行事をほとんどしておらず、昔やっていたことも忘れた」というもの。そこをなんとか思い出して欲しいとお願いしたところ、お盆期間中は仏前に瓜を備えていたとのこと。一般的にはきゅうりやナスを備える家が多いように思いますが、なぜ瓜なのでしょう。そのあたりの理由は「わからない」そう…。地域で、きゅうりやナスよりも瓜のほうが手に入りやすかったのでしょうか。さらに送り火は、木片ではなく、新聞紙を使っていた…との証言に、もはや風情も何も無いなあ、と大学生ながらに思った次第です(笑)
それから数十年が経ち、我が家にも、かつていなかった仏さまがおわすようになり、お盆が身近に感じられるようになりました。何をするでもありませんが、心の中で手を合わせ、日ごろに感謝をしたいと思っています。
大学1、2年生のとき、民俗学の授業で、実家の御盆行事を調べるよう、課題を出されたことがありました。あいにく、私の家には仏さまがおらず、よってお墓もないので、山形に住む母方の祖父母の家へ行き、そこで聞き取りをする事にしたのです。
私は、さぞ、いろいろな話を伺えるものだろうと期待していたのですが、祖父母の答えは「今は御盆行事をほとんどしておらず、昔やっていたことも忘れた」というもの。そこをなんとか思い出して欲しいとお願いしたところ、お盆期間中は仏前に瓜を備えていたとのこと。一般的にはきゅうりやナスを備える家が多いように思いますが、なぜ瓜なのでしょう。そのあたりの理由は「わからない」そう…。地域で、きゅうりやナスよりも瓜のほうが手に入りやすかったのでしょうか。さらに送り火は、木片ではなく、新聞紙を使っていた…との証言に、もはや風情も何も無いなあ、と大学生ながらに思った次第です(笑)
それから数十年が経ち、我が家にも、かつていなかった仏さまがおわすようになり、お盆が身近に感じられるようになりました。何をするでもありませんが、心の中で手を合わせ、日ごろに感謝をしたいと思っています。