学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

芥川龍之介『るしへる』

2019-10-11 21:12:26 | 読書感想
古来より日本人はあの世を意識して暮らしていた。この世で良き行いをすれば極楽へ行き、悪き行いをすれば地獄へ行く。特に地獄については「地獄絵」と呼称される絵も方々に残っている。「地獄絵」と聞くと、私は漫画家の水木しげるを思い起こす。彼がまだ幼かった頃、水木家のお手伝い(のんのんばあ)に連れられて地獄絵を見、恐れおののいたというエピソードがある。彼にとって、その体験は漫画の原点のひとつにもなっているようだ。かく言う私は本物の地獄絵を見たことはないものの、学校図書館にあった地獄絵の本を同級生と読み、恐れおののいた覚えがある。舌を抜かれ、窯でゆでられ、飢餓で苦しめられる。悪いことをすると、こんな恐ろしいところへ行くのかと怖くて仕方がなかった。

さて、私が見た地獄絵には「悪魔」というものがいなかった。そもそも悪魔の存在はキリスト教との関係で現れるためである。芥川龍之介は南蛮ものの小説のなかで、次のような特徴ある言葉を好んで使う。それは「はらいそ」、「いんへるの」、「安助」、「るしへる」と言った言葉だ。それぞれ「天国」、「地獄」、「天使」、「悪魔」という意味になる。これらの言い回しを使って、彼は『るしへる』という小説を書いた。元和期の『破提宇子』(はでうす)の古写本から抜粋するというかたちで、物語は文語体で綴られる。南蛮寺の伴天連である巴毗葊(はびあん)の元にひとりの夫人が訪れる。この頃、彼女の耳に欲望を掻き立てるような声が聞こえるという。巴毗葊は教えを説いて夫人を帰すが、彼の前に「るしへる」(悪魔)が現れる。巴毗葊は悪魔との対峙を試みるが、相手はさすがに言葉巧みで次第に圧倒され…。

『るしへる』の悪魔は弁が立つ。そして人間の心の隙間に入り込むのがうまい。人は誰しも何らかの欲望を持っている。その欲望が暴れ出さないようにコントロールするのが理性である。であれば、悪魔とはその欲望を暴れさす存在であって、まさに理性の天敵となるであろう。我々にとってみれば、この世には悪魔がおり、あの世には地獄があって、どうも八方ふさがりの体である。生きるにしろ、死ぬにしろ、どちらも厄介でしかない。それならば、せめては「はらいそ」へ行けることを願いたいものだ。


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