学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

関東大震災と美術

2010-03-25 22:01:44 | その他
関東大震災は、1923年(大正12)9月1日の正午に起こりました。死者・行方不明者の数は14万人を超えた大災害。人命と共に多くの建築物も一瞬にして失われました。実は、この震災を主題とした絵画もあります。日本画家速水御舟《灰燼》、洋画家萬鉄五郎《地震の印象》、版画家平塚運一の関東大震災シリーズなどです。彼らにとって、震災は絵筆を取って描かなければならなかったほど、衝撃的なものであったといえるのでしょう。

これは私の個人的な意見ですが、関東大震災を通して、この世は永遠でないことを強く実感した人がかなりいたのではないかということです。というのは、明治維新があって江戸の街並みは失われ、今度は関東大震災によって明治の街並みは失われる。そうして尊い人命も奪われる。目の前にあるものが、そう簡単に消えるわけがないと思っていたら、それがパッと消えてしまう。和辻哲郎は「関東大震災のおりに、いささか感ずる所あって、書かないで済むものは一切書くまい」と述べたそうですが、その「感ずる所」というのは、自分がいつ死ぬのかわからないのがこの世であり、そうしたなかでいい加減で無駄なものを書くことはできない、ということなのかもしれません。

時代はほんの少し進んで、昭和初期、木版画で「新日本百景」が制作されます。「新東京」とは、関東大震災から復興した東京の街並みのことです。震災後、すさまじい勢いで復興する東京の姿を後世まで残そうとして、恩地孝四郎、川上澄生、諏訪兼紀、平塚運一、深沢索一、藤森静雄、逸見享、前川千帆ら8人の版画家たちが集まって東京の景色を描きました。やはり彼らも関東大震災を知っていますから、復興してきたとはいえ、これも永遠に続くものではないと予感していたのかもしれません。いえ、予感していたからこそ、描こうと思ったのでしょう。現に、結局彼らが描いた東京の街並みも東京大空襲によってほとんどが失われます。やはりパッと消えてしまった。

パッと消えてしまう空間に生きる私たちは何をすべきなのか。どうも難しいことです。一日一日、責任を全うすることが大切なのかもしれません。(人によっては人間には時間がないとして、必死に勉強や仕事をする人もあるようです)関東大震災と美術。ちょっと意外なつながりですが、私なりに思っていたことを書いてみた次第です。

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