学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

『津軽』 本編 三 外ヶ浜

2008-09-15 05:43:29 | 読書感想
蟹田を出た太宰とN君は、津軽北端の竜飛岬を目指して進みます。「外ヶ浜」でも道中での出来事が書かれていますが、それを別にすると特に印象的なのが、津軽の歴史を文献から紹介しようとする試みがなされていることでしょう。主に凶作、風土、伝説などを文献から抜粋しています。津軽に足を運んだことがない人も(私も一度きりですが)これでおおよそ、その姿がぼんやりとつかむことができます。ただ、やや抜粋しすぎていて退屈感も否めないのですが。

太宰とN君のやり取りは大変ユーモアにあふれています。N君が酔っ払ってドジをやらかし、太宰がその被害を被る、のパターンです。太宰も怒鳴りだすのではなく、ふて寝するのだから面白いもので、2人が信頼しあった友人同士であることを強く感じます。なかでも三厩での女中との場面は、夏目漱石の『二百十日』を思い出させるようで思わず笑みがこぼれてしまいます。

竜飛岬で迎えた朝。前の夜、N君が大声で歌い出したため、強制的に寝ざるえなかった太宰は、寝床の中で戸外から流れてくる女の子の手毬歌に聞き入ります。太宰は「私はたまらない気持であった」と締めくくっていますが、おそらく、太宰はこの場面で故郷への愛着心を強く感じたのではないでしょうか。少なくとも、私が太宰の立場なら、そう感じるのです。人間は、一見何気ないことに強く愛着心を感じることがままありますから。
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小説 「河原にて」(仮)

2008-09-14 20:21:52 | その他
秋の風にふれたくて、真夜中に河原を散歩することにした。私は河原を目指して、とにかく北に向かった。西の鬱蒼とした森からは鈴虫や蟋蟀の音色が聞こえ、それが心をいたく滲ませる。森の向うから、汽車が音を立てて走ってくる。そうしてすぐに遠くへ消えてゆく。汽車のかすれた音は、秋に興を添える。

北に向かうと、すぐにO橋が見えてくる。しばらく橋の上から、K川を眺めていた。北からの冷たい風が心地よい。下には悠々と流れる川がある。何とも大人しい川である。雨雫をたらすと怒り出して激流になるけれども、何もしなければ、単なる水の集合体である。川の流れに乗って、どこか遠くへ旅してみたいものだ。

橋を渡って南へ向かう。昼間であればにぎわう街も、夜になればとんと静かになる。開いているのは、ただ酒屋だけである。しかし、車は一台も止まっていない。ふと空を見上げると、丸い月が出ていた。何時見ても美しい月だ。手がとどかないから余計美しい。歩きながら月を見ると、屋根と月、看板と月、松の木と月、場面が次々に変わる。けれども、そのどれもが美しい。月の美しさは永遠である。

私はある一人の人間を深く苦しめている。勿論、意図的に苦しめているのではない。苦しめたくもないのに、苦しめているのである。だからなおさら、私は罪の意識に苦しんでいる。救いたいと思えば思うほど苦しめる。大切な人間、たった一人も幸せにすることも出来ずに、私は大勢の人々に感動を与えることができるのだろうか。そんなのはどだい無理な話なんじゃないだろうか。私は葛藤、それも先の見えないどす黒い葛藤に頭を抱えている…。

坂を下ると、河原のすぐ脇道に出る。私のすぐそばには川がある。川のそばへ来ると、少しだけ磯の香りがした。そんなわけはないが、実際に磯の香りをかいだ気がした。水の流れる音が記憶を蘇らせるのだろうか。なぜなら私は海の見える街で育ったからだ。

「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水に非ず」は鴨長明である。彼はこの文章を考えるのに、幾日を費やしたのだろうか。時間の流れは止まらない。私は少なくとも、時間を止めようとは思わない。早く過ぎることも望まない。望むのは、過去に戻ることだけである。しかし、それはかなうことはない空しい願いだ。

川のそばで、花火をしている家族が居た。思えば、今年の夏は一度も花火を見なかった。花火を見なかったからといって、別段死ぬわけでもない。死ぬことを考えるのはもううんざりである。芥川も、太宰も、もういいのである。私もいつかあんな幸せそうな家族を持つ日が来るのだろうか。来たら、さぞかし愉快だろう。来なければ、それはそれでしょうがない。私は静かに目をつむった。花火の匂いが少しだけ鼻に通った。

小さな橋でK川を越え、私は帰るために北を目指す。私は孤独をひどく愛している。しかし、その愛し方はどこか悲しい愛し方である。川は黒い。すっかり闇に溶け込んでる。私自身もいつの間にか闇に溶け込んでいる。虫はまだ静かに鳴いている。私は独り歩いている。街灯に照らされた細い道を。

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疲労度波高し

2008-09-11 22:19:07 | 仕事
展示作業は体力勝負だな、と改めて感じ入る、そんな一日でした。もうへとへとです。午後から体調が悪くて、展示作業を一休みして、デスクワークにいそしむ。体調が万全なら、今頃終わったのに!!

もう眠気がひどいので、寝てしまいます。おやすみなさい。
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展示替え

2008-09-09 20:51:12 | 仕事
本来なら?『津軽』三「外ヶ浜」を書くべきなのですが、もう疲れきって、読む力はあっても書く力はないので、今日の出来事について。

今日から一週間、展示替えです。作品を撤去して、また新しい展示をする。絵によって美術館の雰囲気がだいぶ変わります。つまり、それだけ絵には不思議な力があるということなのでしょう。

ただ…年々疲労度が高くなってきているような…。美術館に就職したばかりのころは一日中走り回ってもあまり疲労は感じなかったような気がするのですが、今は午前中のペース配分を考えないと、午後は力尽きる始末。もう少し体を鍛えなくてはならないですね(苦笑)

明日もまた展示替え。頑張ります!
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『津軽』本編 二 蟹田

2008-09-08 10:20:20 | 読書感想
青森県蟹田は、津軽半島の東海岸に位置する町です。太宰は青森市からバスで「二時間ちかく」離れた蟹田を訪れます。小説『津軽』において「蟹田」はひとつの山場であると思います。何しろアップダウンが激しいのです。

蟹田に到着した太宰は、友人のN君とほぼ徹夜で団欒したあと、青森市のT君、Sさん、小説好きのMさんらと合流し、観瀾山に登って花見をします。みな、お酒が入ってほろ酔い気分。ところが、その席で「日本の或る五十年配の作家の仕事」について問われると太宰の感情は異様に高ぶるのです。「五十年配の作家」とは志賀直哉のことであると言われています。

太宰は、同席した人たちを前にして長々と志賀の批判を続けます。それが次第に感情的になってきて、例えにフランスのルイ十六世が登場したあたりから、やや話が脱線し、最後は志賀を「醜男」と文学の気質とはまったく関係のないところまで攻撃してしまうのです。そうして「僕の仕事をみとめてくれてもいいじゃないか」と太宰は嘆きます。他作家を攻撃するのはやりすぎな気がしますが、しかし、ここに「苦しい」太宰の心情が変化球ではなく、直球勝負で描写されているようです。私の太宰に対するイメージは、どうもなよなよして、弱々しい感じなのですが、彼の心にある激しい気持ちに触れた気がして、少し太宰に対する見方が変わりました。ちなみに『津軽』発表後、文学だけでなく、容姿までけなされた志賀は太宰に反撃し、それにまた太宰が答えるかたちで2人の間に争いが続きますが、それはまた別の機会に述べることにしましょう。

志賀への批判を読んだ後は読者もやや気分が悪くなるところですが、太宰は読者に対するフォローを忘れませんでした。この花見のあと、Sさん宅へよって食事をご馳走になるのですが、Sさんの「疾風怒濤のごとき接待」は笑いを誘います。ビデオを早送りしたようなSさんの接待は、太宰によれば、津軽人の愛情表現なのだそうです。批判めいた文章を書きながらも、最後のこうしたほっとさせる場面を持ってくるあたり、太宰の策略といったところなのでしょうか。
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『津軽』本編 一 巡礼

2008-09-07 20:51:47 | 読書感想
朝はすがすがしい天気だったにも関わらず、夕方からどしゃ降り。不安定な天気はまだまだ続きそうです。

昨日の続きで太宰の『津軽』。本編の一は「巡礼」です。不思議なタイトルです。自分の故郷へ行くのに「巡礼」なのですから。太宰にとって、もはや故郷は聖地と化していたのか、いや少なくとも荘厳なイメージを持たせる意図は感じられないのです。

そこで出てくるのが、「巡礼」の始まりの文章。旅に出る理由を聞かれた太宰は「苦しいからさ」と言います。続けて「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七…」と三十歳後半で「ばたばた」亡くなった作家、詩人たちの名前を7名挙げるのです。「これくらいの年齢の時が、一ばん大事で、」と述べ、そうして苦しい時なのかと聞かれると、「ふざけちゃいけない」と言う。初めに「苦しい」と述べていたのに、後半はそれを否定している矛盾があります。結局、苦しい理由を太宰は述べずに旅に出ます。太宰は何を言いたかったのでしょう。

人生50年、と当時(昭和19年頃)言えたのかどうかは判然としませんが、少なくとも勢いで頑張ってきた20歳代から30歳前半。けれども、30歳半ばぐらいになると、勢いで走ってきた道を少し振り返りたくなる時期なのかもしれません。とすれば、作家にとって、これまで自分が何を残してきたのかを振り返る最初の時期。太宰も足跡を振り返り、力及ばぬことが多く、苦しみを感じていたのかもしれません。初心を取り戻す、あるいは苦しみからの解放を故郷の巡礼に求めたのではないでしょうか。

さて、太宰は青森で金木時代に仲良く遊んだT君と再会します。一緒に蟹田へ行こうと誘おうとしますが、遠慮して誘えない太宰。「大人とは、裏切られた青年の姿である」が印象的な言葉です。大人になると遠慮を覚えて、誰とでも他人行儀に接してしまう。それは裏切りと恥から成り立つと述べるのです。何とも彼らしい発想ではありませんか。


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『津軽』序論

2008-09-06 15:25:12 | 読書感想
南風にのって、遠くから祭囃子の音が聞こえます。私はお祭りというものが苦手で、情けないことにどうもあの力強さに圧倒されて観ているだけで力を失っていくような気がするのです。けれども、遠くから聞こえる笛やら太鼓やらの音色は好きで、思わず聞きいってしまいます。

今日は太宰治『津軽』を読んでいます。昨年の今頃、東北一周旅行を企てて、青森県の金木に足を運ぼうかと考えていましたが、結局行くことが出来ず、行ったつもりで買った『津軽』だけが私の思い出になっています。

私は太宰の小説をあまり読まないのですが、この『津軽』だけは別で何度か読み返しては青森に旅行したつもりで喜んでいます。序論を細かく読んでいくと、自分の青森時代の思い出を語りながら、金木、五所川原、青森、弘前、浅虫、大鰐を紹介しています。特に青森と弘前については、随分具体的に著述しています。

故郷を褒めるというのは、簡単なことのようで中々難しいことです。自分の性格を自己診断するのと同じことで、短所はすぐに見つかりますが、長所は見つけにくいためです。太宰は当時、青森から離れて10数年立っていると述べていますから、故郷から離れて、やや客観的に観ることができるようになったとはいえ、津軽の「特異の見事な伝統」を「はっきりこれと読者に誇示できないのが、くやしくてたまらない」と序論からもどかしく嘆いています。しかし、これが正直なところなのでしょう。

太宰によって青森と弘前の比較がなされますが、本人も文章のなかで申しているとおり、弘前をやや贔屓目に見ているようです。弘前は、太宰の言によれば、先祖から関わりの或る土地であるそうです。また、県庁所在地を青森市に持っていかれたことにも歯がゆさを感じていたとも。無意識のうちに、そうしたことが弘前に対する贔屓目につながっているのかもしれません。弘前に対する愛着が、太宰の心には強く残っているようです。

次回は『津軽』本編について、ご紹介することにしましょう。
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仕事のペース

2008-09-04 22:15:23 | 仕事
異様に疲れた本日。18時から予定が入っていたので、残業せずに帰ろうと午前中から全力投球で仕事をした結果…午後の体力が激減して、えらい目にあいました。疲れると頭が働かなくなるのは、まさにそのとおりで、午後は精神力で仕事をしていたような調子です。

仕事のペース配分はわかるようでなかなかわからないものです。一般的に午前中は頭を使う仕事、午後は単純作業が良いようです。学芸員でいえば、午前中は論文作成やポスター、パンフレットなどのレイアウトを考える時間。午後はデータ入力や作品撮影やパネル作りなどをするのが理想的ななのでしょうか。…仕事のペースは、要するに自分自身にあったやり方を見に付けておくとよいのかもしれません。

明日はお休みなので、疲れた体をゆっくりと休めたいと思います。
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仕事のスピード

2008-09-02 20:33:02 | 仕事
いかに仕事を効率よくこなして、多くの業務を遂行するか。これは学芸員に限らず、社会人であれば誰でも考えることであると思います。

めまぐるしい現代社会を生きる私たち。多くのビジネス書によれば、遅くて確実なことよりも、いわゆる拙速のほうが求められるようです。

今日は購入作品のリスト化及び図版の作成に一日追われました。かなり大変な仕事でしたので、もっと楽に早く終わらせられないか…パソコンに向かって考えているうちに書類が出来上がってしまいました(苦笑)

午後からの打合せで、一部の作品を購入できる見通しがつきました。とてもよかったです。とても良い作品ばかりでしたので、多くの方に見ていただけるかと思うと、うれしい気持ちです!今夜はゆっくり眠れそう!
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調査を終えて

2008-09-01 19:26:08 | 仕事
さて…さっそく行ってみますと、貴重な作品ばかり。購入予算も限られている(極めて限られている…)なかで、どれだけ購入ができるかわかりませんが、ぜひとも多くの方に見ていただきたい作品ばかりですので、後日スタッフで会議を持つことになりました。

作品購入費は、美術館の予算のなかでも削られやすい部分ではないでしょうか。作品収集は美術館の大事な柱の一つであるのに…なかなか難しいところです。
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