デカルト、ないしはデカルトの子たる人間の努力のすべては、信じることに陶酔するよりはむしろ、信じることを拒否するためのものだ。モンテーニュがすでに言ったように、法律とか、礼儀作法とか、さらには社会通念とかの場合のように、慣行としては信じなければならないものであっても、その行為を証しとみなしたり、おこなうのが適当と判断したことを真実と考えたりするのはさし控えるのだ。モンテーニュがたわみやすく、自分自身に甘い精神にみえるのはこのためだが、実際にはそんなところはまったくない。逆に内面においては剛直であり、ドアを閉ざし、自分自身以外には証人を持たずに判断を下すのだ。
【出典】アラン(山崎庸一郎訳)『プロポ1』(みすず書房、2000)
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