「俳句」2010年4月号に『その瞬間 創作の現場ひらめきの時』刊行記念ということで、黛まどかがインタビューされている。以下、要旨。
俳句を始めたきっかけは、杉田久女との出会いだ。そこから俳句そのものへ関心が移った。たとえば、田辺聖子『花衣ぬぐやまつわる・・・・』のタイトルになっている「花衣ぬぐやまつわる紐いろいろ」は、心の叫びなのに美しい景に昇華しているところがすばらしい。嘆きで終わらせないところが俳句のひとつの魅力だ。
この頃、父・黛執の句集を読み、「つばめの空さらに高きに父の空」が目にとまった。祖父の葬儀に悲しみを見せなかった父の、涙より深い悲しみ、二度と会えないところに行ってしまった、という喪失感を余白に見た気がした。
俳人として立つ決意の句は、1994年冬の「冬波の人遠ざける青さかな」(句集『花ごろも』)。8年間所属した結社「河」を辞め、「月刊ヘップバーン」を立ちあげようと悩んでいた頃の句である。
黛まどかは、よく悩むタイプなのだが、最終的には超ポジティブ・シンキングになるらしい。親しかった鈴木真砂女から、「私たち、太平洋を見て育ったからね」とよく言われた。海の向こうには自分の知らない素敵なものがある、という明るいイメージがある。四季をつうじて海を見るのが好きだ。
『その瞬間』は、携帯メールマガジン「俳句でエール!」に連載したもの。2006年12月26日に初配信。2008年から「週刊まどか歳時記」として毎週日曜日に配信。今、会員は1万人。
言葉によるいじめがあとを絶たないが、言葉はいいほうに働く力もある。それをもっと発信していきたい、というのが「俳句でエール!」を始めた動機。自分自身が励まされた古今東西の俳句を淡々と送りつづけた。
自殺願望の人からメールが入ったこともある。どんなに沢山の言葉をかけても、心の向きを変えるのは自分自身でしかない。それには「気づき」が必要なのだが、どうやって気づいてもらうか。俳句は短いから直接励ますことはないが、その中に「気づき」を呼びさます力がある。
俳句を通じて、なくしていた会話が始まった団塊世代の夫婦もいる。「熱燗の夫にも捨てし夢あらむ」(西村和子)がきっかけで。
メルマガを開始して1年半後、「あなたからの一句」を始めた。題詠が1か月間続く。
発見が増えた、などの声があった。
1999年、北スペインのサンチャゴ巡礼をはたした。約800キロ、徒歩で踏破した。重い荷物に足が前にでない。そんなとき思いだしたのは『奥の細道』だった。300年という時の隔たりを超え、『奥の細道』を追体験した。
旅にでると、日常の自分から脱却できる。遠くから自分を見つめなおし、日常でついた贅肉を落とすことができる。これが旅の魅力だ。パウロ・コエーリョは、旅の効用を三つあげている。荷物を減らすこと、言葉を減らすこと、人を信じる力をとり戻すこと。
この4月から1年間、文化庁の派遣事業でパリへ赴く。EU理事会議長からも派遣要請が来ている。フランスの大学日本語科をはじめ、周辺諸国に俳句を普及したい。俳句を通じて、余白を読みとること、自然と一体化すること、といった日本文化のすばらしさを発信したい。さらに、環境問題や紛争などの解決へのヒントが俳句に託されている、ということまで伝えたい。
【注】
2010年4月15日付け朝日新聞によれば、14日、文化庁は、文化交流使に黛まどか(47)を指名した。期間は4月下旬から約1年間。フランスなどで、俳句について講演や実作指導をおこなう。所要経費約1200万円は同庁が負担する。
【参考】黛まどか「その瞬間 創作の現場ひらめきの時」刊行記念特別インタビュー (「俳句」2010年4月号、角川書店、所収)
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俳句を始めたきっかけは、杉田久女との出会いだ。そこから俳句そのものへ関心が移った。たとえば、田辺聖子『花衣ぬぐやまつわる・・・・』のタイトルになっている「花衣ぬぐやまつわる紐いろいろ」は、心の叫びなのに美しい景に昇華しているところがすばらしい。嘆きで終わらせないところが俳句のひとつの魅力だ。
この頃、父・黛執の句集を読み、「つばめの空さらに高きに父の空」が目にとまった。祖父の葬儀に悲しみを見せなかった父の、涙より深い悲しみ、二度と会えないところに行ってしまった、という喪失感を余白に見た気がした。
俳人として立つ決意の句は、1994年冬の「冬波の人遠ざける青さかな」(句集『花ごろも』)。8年間所属した結社「河」を辞め、「月刊ヘップバーン」を立ちあげようと悩んでいた頃の句である。
黛まどかは、よく悩むタイプなのだが、最終的には超ポジティブ・シンキングになるらしい。親しかった鈴木真砂女から、「私たち、太平洋を見て育ったからね」とよく言われた。海の向こうには自分の知らない素敵なものがある、という明るいイメージがある。四季をつうじて海を見るのが好きだ。
『その瞬間』は、携帯メールマガジン「俳句でエール!」に連載したもの。2006年12月26日に初配信。2008年から「週刊まどか歳時記」として毎週日曜日に配信。今、会員は1万人。
言葉によるいじめがあとを絶たないが、言葉はいいほうに働く力もある。それをもっと発信していきたい、というのが「俳句でエール!」を始めた動機。自分自身が励まされた古今東西の俳句を淡々と送りつづけた。
自殺願望の人からメールが入ったこともある。どんなに沢山の言葉をかけても、心の向きを変えるのは自分自身でしかない。それには「気づき」が必要なのだが、どうやって気づいてもらうか。俳句は短いから直接励ますことはないが、その中に「気づき」を呼びさます力がある。
俳句を通じて、なくしていた会話が始まった団塊世代の夫婦もいる。「熱燗の夫にも捨てし夢あらむ」(西村和子)がきっかけで。
メルマガを開始して1年半後、「あなたからの一句」を始めた。題詠が1か月間続く。
発見が増えた、などの声があった。
1999年、北スペインのサンチャゴ巡礼をはたした。約800キロ、徒歩で踏破した。重い荷物に足が前にでない。そんなとき思いだしたのは『奥の細道』だった。300年という時の隔たりを超え、『奥の細道』を追体験した。
旅にでると、日常の自分から脱却できる。遠くから自分を見つめなおし、日常でついた贅肉を落とすことができる。これが旅の魅力だ。パウロ・コエーリョは、旅の効用を三つあげている。荷物を減らすこと、言葉を減らすこと、人を信じる力をとり戻すこと。
この4月から1年間、文化庁の派遣事業でパリへ赴く。EU理事会議長からも派遣要請が来ている。フランスの大学日本語科をはじめ、周辺諸国に俳句を普及したい。俳句を通じて、余白を読みとること、自然と一体化すること、といった日本文化のすばらしさを発信したい。さらに、環境問題や紛争などの解決へのヒントが俳句に託されている、ということまで伝えたい。
【注】
2010年4月15日付け朝日新聞によれば、14日、文化庁は、文化交流使に黛まどか(47)を指名した。期間は4月下旬から約1年間。フランスなどで、俳句について講演や実作指導をおこなう。所要経費約1200万円は同庁が負担する。
【参考】黛まどか「その瞬間 創作の現場ひらめきの時」刊行記念特別インタビュー (「俳句」2010年4月号、角川書店、所収)
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