二人寄れば三つの政党ができる、とユダヤ人の議論好きが揶揄される。
本書は、イスラエルの中で拮抗し合う集団の複雑なモザイク模様を簡明に分析した。ユダヤ人社会に焦点を絞ったために非ユダヤ人にはほとんど言及されていないが、国民の2割近くを占めるパレスチナ・アラブ人に対する理解もゆきとどいている。
20世紀末のイスラエルには主な対立軸が三つある、と著者はいう。
第一に、世俗的(非宗教的)か宗教的か。一方に冠婚葬祭の時にしか宗教と関わらない人々がいて、この対極に戒律などユダヤ教的価値体系を社会で実践、実現しようとしている超正統派(ハレディーム)がいる。
第二に、アジア・アフリカ系かヨーロッパ系か。前者は、意識の多様化によってサブ・エスニック・グループが形成されているため、関係がより複雑になっている。
第三に、第三次中東戦争による占領地区を返還するか否か。返還による和平推進を支持するグループがある一方、返還に断固反対する大イスラエル主義勢力がある。後者は、ヨルダン川西岸(「約束の地」の核心的部分)を死守せんとする宗教的ナショナリズムと重なる。
さらに・・・・と著者は続けて、ほぼ次のように言う。「産業構造の転換に伴い、ベンチャー・ビジネスで巨万の富を築いた者がいる一方、貧困のうちに反エリート的な意識を強めている層も増大している。生活様式のグローバル化、アメリカ化は社会で均等に起きているわけではなく、価値観の対立や社会的な摩擦が生じている」
19世紀に発生したシオニズムは、宗教的共同体たるユダヤ教徒を政治的共同体たるユダヤ民族に意識転換し、自分たちの国家建設をめざしたイデオロギーであり運動であった。建国後50有余年をへた現在、イスラエルは経済的に繁栄し、世界の半数のユダヤ人がこの国に集中している。シオニズムの目標は達成された、とポスト・シオニズム現象があらわれている。
他方、政治的シオニズムとは別に、思想的・精神的側面を重視したシオニズムも運動の初期から存在した。こちらがめざす国家は、普通の民族国家ではなく、選民思想と表裏をなす「特殊な国」である。
シオニズムにおける民族優位と宗教優位の矛盾は、建国当初から存在していた。先住のパレスチナ人及び周囲のアラブ諸国といかに折り合いをつけるかという政治的課題が一方にあり、神とユダヤ教徒と「約束の地」という神学的命題が他方にあった。
ホロコーストの悲劇から3年後、1948年にイスラエルは独立した。そして、パレスチナ難民を生んだ。当然ながら周囲のアラブ諸国は、新規参入者を地中海へ追い落とそうとした。世界百か国からの移民たちは、たび重なる戦さによってしのいだ。そして今や、千葉県程度の人口590万人(1997年)の小国としては強大な軍事力(現役の兵士17万人余、予備役43万人)を有するに至る。
しかし、戦さは当然ながら社会・経済の機能を麻痺させる。平時でも、軍事予算は国家財政を圧迫する。加えて、占領地区における抵抗運動(インティファーダ)の抑圧やレバノン侵攻は、個々の兵士の、ひいては国家のモラルを低下させた。
1993年、ワシントンで宿敵アラファトPLO議長と握手をかわしたイツハク・ラビン首相(当時)は、軍歴が長く、国防軍の元参謀総長でもあった。さればこそ、力による対決の限界を熟知していたにちがいない。
そのラビンは、暗殺された。大イスラエル主義者イガール・アミール青年が、宗教的信条に基づいて銃の引き金を引いたのである。
西岸地区及びガザ地区は1996年にパレスチナ自治区となったが、入植運動はイスラエルにおける「西部開拓」 とする運動は続いている。当然、パレスチナ自治区との摩擦も。人間の福祉は妥協のうえに成立するはずだが、神と神に忠実な人間には妥協がないらしい。
21世紀のイスラエル国家内部には、対立軸が依然として健在である。
□立山良司『揺れるユダヤ人国家 -ポスト・シオニズム-』(文春新書、2000)
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本書は、イスラエルの中で拮抗し合う集団の複雑なモザイク模様を簡明に分析した。ユダヤ人社会に焦点を絞ったために非ユダヤ人にはほとんど言及されていないが、国民の2割近くを占めるパレスチナ・アラブ人に対する理解もゆきとどいている。
20世紀末のイスラエルには主な対立軸が三つある、と著者はいう。
第一に、世俗的(非宗教的)か宗教的か。一方に冠婚葬祭の時にしか宗教と関わらない人々がいて、この対極に戒律などユダヤ教的価値体系を社会で実践、実現しようとしている超正統派(ハレディーム)がいる。
第二に、アジア・アフリカ系かヨーロッパ系か。前者は、意識の多様化によってサブ・エスニック・グループが形成されているため、関係がより複雑になっている。
第三に、第三次中東戦争による占領地区を返還するか否か。返還による和平推進を支持するグループがある一方、返還に断固反対する大イスラエル主義勢力がある。後者は、ヨルダン川西岸(「約束の地」の核心的部分)を死守せんとする宗教的ナショナリズムと重なる。
さらに・・・・と著者は続けて、ほぼ次のように言う。「産業構造の転換に伴い、ベンチャー・ビジネスで巨万の富を築いた者がいる一方、貧困のうちに反エリート的な意識を強めている層も増大している。生活様式のグローバル化、アメリカ化は社会で均等に起きているわけではなく、価値観の対立や社会的な摩擦が生じている」
19世紀に発生したシオニズムは、宗教的共同体たるユダヤ教徒を政治的共同体たるユダヤ民族に意識転換し、自分たちの国家建設をめざしたイデオロギーであり運動であった。建国後50有余年をへた現在、イスラエルは経済的に繁栄し、世界の半数のユダヤ人がこの国に集中している。シオニズムの目標は達成された、とポスト・シオニズム現象があらわれている。
他方、政治的シオニズムとは別に、思想的・精神的側面を重視したシオニズムも運動の初期から存在した。こちらがめざす国家は、普通の民族国家ではなく、選民思想と表裏をなす「特殊な国」である。
シオニズムにおける民族優位と宗教優位の矛盾は、建国当初から存在していた。先住のパレスチナ人及び周囲のアラブ諸国といかに折り合いをつけるかという政治的課題が一方にあり、神とユダヤ教徒と「約束の地」という神学的命題が他方にあった。
ホロコーストの悲劇から3年後、1948年にイスラエルは独立した。そして、パレスチナ難民を生んだ。当然ながら周囲のアラブ諸国は、新規参入者を地中海へ追い落とそうとした。世界百か国からの移民たちは、たび重なる戦さによってしのいだ。そして今や、千葉県程度の人口590万人(1997年)の小国としては強大な軍事力(現役の兵士17万人余、予備役43万人)を有するに至る。
しかし、戦さは当然ながら社会・経済の機能を麻痺させる。平時でも、軍事予算は国家財政を圧迫する。加えて、占領地区における抵抗運動(インティファーダ)の抑圧やレバノン侵攻は、個々の兵士の、ひいては国家のモラルを低下させた。
1993年、ワシントンで宿敵アラファトPLO議長と握手をかわしたイツハク・ラビン首相(当時)は、軍歴が長く、国防軍の元参謀総長でもあった。さればこそ、力による対決の限界を熟知していたにちがいない。
そのラビンは、暗殺された。大イスラエル主義者イガール・アミール青年が、宗教的信条に基づいて銃の引き金を引いたのである。
西岸地区及びガザ地区は1996年にパレスチナ自治区となったが、入植運動はイスラエルにおける「西部開拓」 とする運動は続いている。当然、パレスチナ自治区との摩擦も。人間の福祉は妥協のうえに成立するはずだが、神と神に忠実な人間には妥協がないらしい。
21世紀のイスラエル国家内部には、対立軸が依然として健在である。
□立山良司『揺れるユダヤ人国家 -ポスト・シオニズム-』(文春新書、2000)
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