語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『鼠たちの戦争』

2010年04月30日 | 小説・戯曲
 スターリングラード攻防戦は、第二次世界大戦における独ソ戦の転回点となった。1942年8月に「スターリングラードの玄関口に押し寄せた120万人の侵略軍のうち、生きて故郷の土を踏めたのはわずか3万人にも満たなかった」(エピローグ)。

 この攻防戦を背景に、独ソ両国を代表する狙撃手の戦いが描かれる。スパイナーは、独軍はハインツ・トルヴァルト大佐(狙撃学校校長)であり、ソ連軍はワシーリイ・ザイツェフ曹長(シベリア出身の狩人)である。実在した二人がモデルであるが、実在を疑問視する史書があるらしい。しかし、少なくとも一方は大戦を生きのびて手記を残した(どちらであるかは、未読の読者の興を削ぐのでここでは記さない)。

 本書は史実にきわめて忠実な冒険小説である、と訳者はあとがきで言う。小説の細部のレアリティは、著者の克明な調査に裏うちされているわけだ。
 市街戦であった。「両軍とも地下にもぐっていた。地下室や暗渠、トンネル、街の凍った皮膚についた引っかき傷を思わせて、はてしなくつづく<鼠道>と呼ばれる浅い塹壕。いまではそれらが寒気を増しゆく冬空の下の戦場風景を作り上げていた。ドイツ国防軍(ヴェールマハト)の歩兵たちはそれを『ラッテンクリーク』と呼んだ。つまり『鼠たちの戦争』である」
 本書の題名はここに発する。

 国家間の戦さは、しばしば(クラウゼヴィッツすら)個人と個人の闘いに還元しがちだが、一発の銃弾が生死を分かつ個人間の闘いは、国家の戦さとは別の相貌を見せる。憎悪が相手を斃す強い動機づけになる点では共通するが、狙撃手の闘い方はきわめて技術的になのだ。冷静に計算するほうが勝利するのである。

 スパイナーを描く小説は、近年ではスティーブン・ハンターの一連の作品があるが、主人公の性格も小説の筆致もやや偏執的な傾向があって、閉口する読者もいるだろう。
 本書には、生死のはざまを生き抜く者がもつ静謐が漂って、時代劇の決闘を愛する日本人むきかもしれない。

□デイビッド・L・ロビンズ(村上和久訳)『鼠たちの戦争』(新潮文庫、2001)
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【旅】イスラエル ~マサダ~

2010年04月30日 | □旅
 何もない。草木の影一片だに見あたらない。あるのは頭上に燃えたぎる太陽ばかり。
 日中の気温は40度を超える。「水を飲んでください」と引率者が繰り返す。一日2リットルは飲まねばならぬ。水分が不足すると、まず頭痛がする。ついで意識を失う。

 山頂に近く、海抜ゼロ・メートルの標示が立っている。海水面と同じ高度なのだ。400エーカーの広さの遺跡も、山麓も周辺の土地も、見わたすかぎり荒涼たる眺めである。
 風がそよぐ。風は乾いて、熱砂のように膚をかすめる。足もとには赤茶けた砂と岩肌ばかり。
 瓦礫が散在する。いや、2千年前の遺跡である。ヘロデ王の脱衣室、熱浴室(サウナ)、冷浴室。いったいどこから薪を調達したのだろうか。考古学上の謎である。
 王のための風呂だけでなく、傭兵のためのプールもあった。年間降水量わずか20センチの、しかも3月から10月まで雲ひとつない乾季が続くこの地で、どうやって水を確保したのだろうか。解答は、目に見えるかたちで残されている。降るときは雨が降るから、あまさず溜めておくのだ。山肌にそうて溝が走る。傾斜する溝のゆき着く先は岩肌をくりぬいた穴である。穴の奥に巨大な空洞がある。容積5万立方メートルの巨大な水瓶である。工匠の手にかかるこうした水瓶が、山の周辺に12個確保されていた。

 水はある。食糧庫もある。城壁は堅固である。ふもとから落差400メートルの砦へ達するには、「蛇の道」を徒歩で50分かけてたどるしかない。
 難攻不落の要塞。少なくともヘロデ・アグリッパ1世はそのつもりだったにちがいない。
 その嫡子を追い出して、ローマ帝国の軍勢に抵抗するべくたてこもったゼロダイ(熱心党)の967人も同様に考えたのだろう。
 しかし、なにごとも「絶対」はない。

 話はローマ帝国の皇帝ウェスパシアヌスの時代に遡る。
 独立を意図して蜂起したユダヤ人たちは、皇帝の子ティトスによって各地で打ち破られ、西暦70年、ついにエルサレムは落ちた。神殿は灰燼に帰する。指導者ベン・ヤイルに率いられた残党はマサダに逃れ、ユダヤ人最後の砦にたてこもった。
 ローマに凱旋したティトスのあとをついだ新総督フラウィウス・シルヴァは、西暦73年、マサダへ進軍した。
 城塞は堅固であったが、第10軍団は巧妙な戦術を用いた。8つの長方形の陣地を築き、相互を5キロにわたる攻囲壁でつないだのである。脱出の道を閉ざされ、篭城軍の志気は低下した。ローマ軍はさらに、城壁に達っするほどの高さの斜堤を築いて、攻城塔を運びあげた。鉄板張りの攻城塔には投石機、投矢機、巨大な攻城鎚が備わっていた。攻撃は熾烈であった。砲撃は城の一角に集中し、ついに破れた。篭城軍は凹字状に木の内壁を築いて防いだが、火をはなたれて万事休した。

 ローマ軍総攻撃の前夜、ベン・ヤイルは演説した。
 「我々の両手がまだ自由で剣をとれるうちに、それらに高潔な業をさせよう。敵の奴隷になる前に死のうではないか。妻子たちと共に自由の民として、この世を去ろうではないか」
 籤を引いて10人を選び出し、他の者は地上に横たわって顎をさしだした。残った10人はさらに籤をひき、最後に残るべき一人を選び出した。全員を刺殺し終え、最後に残った兵士は自ら首を刎ねて死んだ。
 かくて、またもや亡国の民となったユダヤ人の流浪がはじまる。

 現代イスラエルの特殊部隊の新兵は、この地で国家への忠誠を誓う。「マサダは二度と落とさせない」
 マサダはエルサレムから陸路40キロの距離、死海の西岸の中央部よりもやや南寄りに位置する。砦から見降ろせば、東の下方に死海が青い一ツ目の怪物のように横たわっている。死海は、いにしえの戦さをつぶさに眺めていたはずだが、黙して語らない。
 語るのは、毀たれた壁であり、メロン大の丸い石・・・・投石機の弾丸の群であり、そして眼下に不気味に残るローマ軍の櫓の跡である。
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