語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発>医療界の原子力ムラ ~放射線医療総合研究所~

2012年02月21日 | 震災・原発事故
(1)独立行政法人「放射線医療総合研究所」の役目
 放医研は、1957年に設立された。当時、広島・長崎の原爆や第五福竜丸被曝事件(1954年)などによる被曝対策が急務となっていた。以来、放射線の人体環境の研究、放射線医療技術の開発などを業務としてきた。被曝した労働者らの緊急医療の拠点でもある。今や年間予算140億円。800人に近い人員を擁する。
 開所式には、中曽根康弘・科学技術庁長官(当時)が出席した。正力松太郎と並ぶ「原子力平和利用」の旗振り役だ。
 設立前年に、原発立国に向かう原子力3法が施行され、放医研の役割は決まっていた。
 医療の側面から原発推進の一翼を担う運命を負った。【放射線医学界の重鎮】
 1980年代ごろは、原発周辺の放射性物質の濃度を測って研究するだけで科学技術庁から叱られ、放医研の幹部が謝りに行った。【放医研関係者】

(2)福島第一原発事故後の放医研
 断固、原発推進を維持している。
 (a)児玉龍彦・東京大学教授が低線量被曝の危険性を示すために国会で引用した「チェルノブイリ膀胱炎」の研究論文を、放医研のホームページで全否定している。
 しかし、反論の根拠は研究結果に基づいていない。また、反論文は無署名だ。関連する論文の検討も行われていない。要するに、学術論争への行政的圧力なのだ。

 (b)2月2日、文部科学省の放射線審議会で、昨年12月に厚生労働省が発表した食品の暫定規制値見直し案に、異議を申し立てた。
 審議会で酒井一夫・(放医研)放射線防護研究センター長いわく、「世間に迎合するように2分の1にするのか」。現行の500Bq/kgを100Bq以下へ引き下げ、乳児用品と牛乳はその半分以下に引き下げることは「厳しすぎる」、というのだ。
 ちなみに、酒井が1999年から約7年間在籍した「電力中央研究所(電中研)」は、運営費の大半を電力9社などが賄っている。そこで、酒井は、100mSv以下の放射線は健康にとって有益、という研究を行っていた。
 電中研には、電力会社のメリットになるような研究が多い。研究は、調べる前から結果が見えている。「ひもつき」が少なくない、と言われている。【放医研関係者】

(3)原発マフィア
 放医研のトップ、米倉義晴・理事長の過去にも電力会社との接点が浮かぶ。
 2004年4月、画像診断に係る「関西PET研究会」の座長を務めたが、主催は関西電力病院。スピーカーとして関電とその子会社の担当者も登壇した。
 米倉は、関電幹部が役員・評議員を務め、出資もしている「若狭湾エネルギー研究センター」と共同研究している。原発銀座と呼ばれる地域の電力会社が関わる団体と連携しているのだ。
 前記「研究センター」の理事には、日本原子力発電の関連会社「原電事業」社長、日本原子力研究開発機構理事、元経産相中部経済局部長、北陸電力役員らが名を連ねる。事務を取り仕切るのは、原発施策を協力に推進した県の元原子力安全対策課長だ。中期事業計画を実質的に決める作業グループのメンバーは、資金提供者である5者・・・・関電、北陸電力、日本原子力発電、日本原子力機構、福井県だ。
 2009年発行の「放医研NEWS」には、米倉が古川康・佐賀県知事とがっちり握手する写真が載っている。「九州国際重粒子線がん治療センター」の運営に係る協力協定を結んだ際の光景だ。
 前記「治療センター」は、玄海原発のプルサーマル実現の見返り、と言われている。2009年12月に玄海原発3号機でプルサーマル原発が全国に先駆けて実用化され、その5ヵ月後に寄付発表があった。
 放医研も無関係ではない。原子力安全・保安院が2005年12月に開いた住民説明会に、放医研名誉研究員が講師として参加し、安全性を説明していた。原子力ムラが原発立国を推進し、医療界が住民の不安をなだめて後押しする、という構図なのだ。

 以上、大場弘行(本誌)「医療界の原子力ムラ」(「サンデー毎日」2012年2月26日号)に拠る。
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