小天守(左側)と大天守(右側)
松山城は、加藤義明が関ヶ原の戦いの戦功により伊予を与えられ、慶長7年(1602)に築城を開始したことに始まる。標高132mの勝山山頂に本丸をおき、
麓に二の丸と三の丸を設けた平山城である。本丸の天守曲輪を構成する建物の多くは数度にわたる火災により焼失。天守も一度は焼失したものの
嘉永5年(1852)に再建竣工され、この天守が現在も残る。天守と小天守や隅櫓が結ばれた天守群や、櫓、門などが山頂の本丸に並び建っていた。加藤氏の
時代には城は完成せず、蒲生氏を経て松平氏の時代に完成。この松平氏が明治まで続いた。 (「日本100名城公式ガイドブック 81松山城」から引用)
現存天守12城のひとつであるこの愛媛県松山市にある松山城(伊予松山城 別名:金亀城 勝山城)を今夏、念願が叶い攻城する機会を得た。
松山城の魅力は数多くの櫓や門等の建物や石垣にあるだろう。猛暑の中、汗びっしょりになりながら少しでも多くと頑張ってみたものの、攻城し残したところも多々あった。
こんな素晴らしい城であるから多くの方にこの感動を知ってもらいたく、撮った写真すべてをアップしたいところであるがそうもいかないので何枚か・・・
正面に見えるのが「太鼓櫓」
「戸無門」
「筒井門」
「隠門」
「太鼓門」
「井戸」
「一の門」
「筋鉄門」
「大天守」
「天守内部」
「天守」最上階
天守から「馬具櫓」(手前)と「太鼓櫓」(奥)
「天神櫓」
「紫竹門」
「多聞櫓」
「南隅櫓・十間廊下・北隅櫓」
「乾門・乾門東続櫓」
城山ロープウェイ乗り場近くにある「加藤義明公銅像」
攻城日:2012年(平成24年)8月7日(火)