
平成29年度の発掘調査を実施した埼玉県蓮田市黒浜地内の新井堀の内遺跡から発見された大甕に納められた埋蔵銭が、
埼玉県熊谷市の公益財団法人埼玉県埋蔵文化調査事業団で特別公開されていますので見学してきました。

会場で頂いたチラシの表(左)と裏(右)

埋蔵銭発見と公開について報じた3月10日付の読売新聞の記事
※1000文=1貫文

埼玉県埋蔵文化調査事業団 本館

埋蔵銭が特別公開されている建物はこちら

沢山の方が見学に来ていました

胴部最大径94cmの常滑焼の大甕にぎっしり詰まった埋蔵銭(渡来銭)

100文単位にひもで束にしてある銭(銭差・銭緡(ぜにさし)は、実際には100枚はなく96枚前後もって100文としていた。

表面だけから現在確認されているのは19種類の銭で、一番新しいものは永楽通宝(1408年初鋳)であり、これ以降に埋蔵
されたとされるのは当然の事であり、今後、更に全部の銭の確認により永楽通宝より新しい銭があった場合は、埋蔵されたのは
更に後期となることは言うまでもありません。
この後、保存状況を記録したうえ正確な枚数を数え、銭1枚1枚を綺麗にして酸化防止の措置を施すとのことであり、大変な作
業が残っています。

大甕にかぶせられていた直径70cmの緑泥片岩製の蓋

木簡
先に掲げたチラシ(写真2枚目)裏にあるよう、十二支を表す「いのとし」とありますが、元号で書かれて(または残って)いれ
ば埋蔵した年が特定可能だったかもしれません。
但し、誰(何という武将)が埋蔵したかまでは、館の主が分っていない現在では無理かとは思います。戦国時代の館の主は岩付城
主太田資正の家臣野口多門であったと伝えられていますが、埋蔵されていた銭の年代と野口多門が館主であった年代がずれている
ようですので別の武将の時代かもしれません。今後の調査に期待をしましょう。

この大甕のほかに同じ大きさの穴跡が二つ並んで発見されているとのことですが、この二つについては掘り出されてしまったよう
で、発掘現場の状況から、実際には三つとも掘り出すつもりがひとつだけ掘り出しそこなったといったような状況のようです。

埋蔵銭の取り上げ手順の写真です。
今回発見になった埋蔵銭と同じ銭の展示もありましたが、たくさんの方が見学に来ていましたし、写真も中々撮れる状態ではあり
ませんでしたので・・・
見学日:平成30年(2018)3月15日(木)