
城 名:金仙寺城(こんせんじじょう)
別 名:下原城
形 態:平城(崖端城)
時 期:不明
城 主:大久保主馬が居したとも、橋久保大膳守が館主とも伝えられるが、詳細は不明である
遺 構:郭・土塁・小口・空堀
指 定:―
現 状:山林
所在地:埼玉県秩父市下影森(旧・秩父市)
金仙寺城は別名下原城と言い、金仙寺の境内にあり寺の東側奥の崖淵に造られている。荒川と合流する押堀川に挟まれる三角
形状の台地上にある。こじんまりした城であり、館あるいは屋敷と言った方がよいかも知れません。築城時期については不明
ですが、金仙寺が開創されたのが延文3年(1357)とのことですから、それ以前であろうとみなさん推定しているようです。
そんな金仙寺城を訪ねてみました。
石積みの土塁や空堀、井戸跡らしき窪みが遺る言うことであったが、堀跡には伐採した竹が埋め尽くされていたり、土塁上も
灌木が茂るがままの状態等で、一応、遺構としての確認ができる程度でありました。

金仙寺城跡縄張図(梅沢太久夫著「埼玉の城 127城の歴史と縄張」より)

金仙寺

庭園と本堂

大棟の鬼には「三鱗」が。 無論、大棟にも入っていますので「三鱗」が金仙寺の寺紋ということでしょう。

ここにも両側に「三鱗」
水桶にも香炉にもやはり「三鱗」が入っていましたが、北条氏とどのような関係があるのでしょうか?
また、金仙寺城も北条氏と関係ある者の城だったのかもと気になりちょっとだけ調べてみましたが、なんの情報も見つかりま
せんでした。秩父地方も北条氏邦が支配していただけに気になります。

金仙寺城跡はこの竹林の先にあるようでしたのでここから(庫裏の裏側)進んでみました。

土塁です。朽ちた竹が堀跡を完全に埋めています。

小口のようですが、やはり両側の堀跡は竹の捨て場と化しており、堀の確認はできません。

このあたりが張り出し土塁かと思いますが、こんな状態ですからよくわかりません。

郭内に入ってみました・・・

崖淵から

斜面が急です

荒川寄りの一段下がったところにある土塁 中央やや右の切れたところが小口でしょうか

堀は荒川に向かって下っています

北側の荒川よりはだいぶ緩やかになっていますが、マンホールが数個見られますので、何らかの手を入れた後のようです。
はっきりした形での土塁、堀跡を見ることはできませんでしたが、一応、確認したので良しとしましょう。
本堂裏にも土塁が確認できましたが、金仙寺城とは関連がないようですので写真は載せないできます。

この時季ですから門前の金仙寺駐車場に咲く満開の桜と武甲山の写真を最後に金仙寺城攻城記はお終いにします。
散策日:平成30年(2018)3月28日(水)・29日(木)