
城 名:大宮館(おおみややかた)
別 名:阿弥陀堂遺跡
形 態:館
時 期:不詳
築城主:不詳
城 主:不詳
遺 構:堀跡(埋戻し)
指 定:―
現 状:阿弥陀堂、公園
所在地:埼玉県北本市高尾6丁目
舌状の大宮台地の最高所に位置し、西に荒川を望み、鎌倉街道の枝道が南の石戸郷から北上してくる交通の要衝であった場所
に中世の館跡とみられる遺構が発掘され、同所の小字名から名づけられた「大宮館」跡を訪ねてきました。
築城者や歴史等諸々まだまだ不詳ですが今後の研究調査に期待したいものです。

「阿弥陀堂遺跡と大宮館」説明板

説明板より「第二次調査全側図」を

説明板より「A堀全景写真」を

上掲「第二次調査全測図」左側(西側)の【住居跡(古墳時代)】・【大形竪穴状遺構(室町時代)】とされる辺り

同じく「第二次調査全測図」右側(東側)の【堀跡】から【住居跡(古墳時代)】とされる辺り
このように遺構の一部は埋め戻して現状保存して公園駐車場になっています。

阿弥陀堂
小字名をとって「大宮館」と名づけられた中世の館跡の館域にこの阿弥陀堂や高尾桜公園なども含まれているようです。

阿弥陀堂の二層の鐘撞堂

本堂

北本七福神めぐりポイント「布袋尊(大きい袋をかつぐ福徳円満の神)」

墓地内にある樹齢約200年のエドヒガンザクラ(北本市指定天然記念物) 幹の下の部分だけで済みません。

亀御前の供養塔

亀御前の供養塔説明板
源範頼の居館は比企郡吉見町にある今の息障院だったとされています。ここ北本市高尾は元は北足立郡でした。吉見町と高尾
は、比企郡と北足立郡と郡名が違うことから一見離れた場所に感じますが、この阿弥陀堂の裏(西側)を流れる荒川を渡れば
直ぐに吉見町ですから、源範頼の奥方である亀御前がこの荒川を知っていたのはごく自然でしょう。
また、北本市や吉見町周辺には範頼にかかわる伝承の場所が複数あります。
と、こう書いたまでは良いのですが、この阿弥陀堂について調べてみますと、かつては西龜山無量寺泉蔵院と号す真言宗寺院
の一堂宇で、同じ北本市の石戸宿にあったもの。亀御前は源範頼の奥方ではなく息女。死についてもこの説明板に書かれた自
死ではなく病死とするもの等、諸説あり何が正しいのか分りませんが何れにしても伝承ですし、色々書くとややこしくなりま
すので、折を見て整理してみたいかとも思います。

寛政11年建立の亀御前供養塔 いわゆる復刻版ですね

高尾さくら公園の八重桜(関山でしょう) ちょっと盛りは過ぎていたようですが、何名かの方が花を愛でに来ていました。

同上

同上
この高尾さくら公園は発掘されたが行われた場所より低い場所にあります。この西側を荒川が流れています。
散策日:平成30年(2018)4月15日(日)