
城 名:石戸館(いしどやかた)
別 名:堀の内館
形 態:館
時 期:不詳
築城主:不詳
城 主:石戸左衛門尉(あるいは源範頼?)
遺 構:土塁・堀跡
指 定:―
現 状:石戸神社
所在地:埼玉県北本市石戸宿
鎌倉幕府の御家人・石戸左衛門尉のあるいは源頼朝の異母弟源範頼の館跡跡と伝わる石戸神社を訪ねてみました。
実際のところは詳細不明です。

石戸神社はちょっとわかりにくい所に所在していますので、初めて行ったときは中々見つかりませんでした(こう書くと複数
回行ったことがバレバレですが)

石戸神社鳥居と社号標石柱

社殿

石戸神社由緒書
この中に、蒲冠者範頼(源範頼)がこの地に配流になった折、息女の亀御膳が病に罹り亡くなった。その追稿により堂を建て
たのが始まりと言われる。とあります。また、この時建立したお堂である阿弥陀堂が、高尾にある阿弥陀堂だといった話もあ
るようですす。
同じ北本市の高尾にある阿弥陀堂にある亀御前の供養塔についての説明では、亀御前は源範頼の奥方で、範頼が伊豆修善寺で
非業の死を遂げた際、夫の死を知った亀御前は悲しみのあまり荒川に身を投げたという。とあります
また、直ぐ近くの吉見町に居館のあった範頼がここ石戸を住居の地ともというくだりも、吉見と石戸は近いが故にの思い違い
かとも考えられないではありません。
ひとつの伝承でさえ信憑性を疑ってしまうこともままありますが、複数あると相互間に矛盾があるのが常のようです。

鳥居脇の「石戸神社」の社号標石柱の側面に、「鎌倉暁将 石戸左衛門尉館跡」と刻まれています

裏面には昭和十三年二月建立とあります

社殿裏の雑木林の中に土塁(土壇)があり祠が2社鎮座しています

角度を変えて

土塁下の空堀

現在の深さは深い所で2mくらいでしょうか
石戸左衛門尉の居館であったのか源範頼の居館であったのかは定かではありませんが、こうした遺構から見るにそれなりの身
分の者の居館があったのは確かなことのようです。
散策日:平成30年(2018)4月14日(土)他