城 名:高月城(たかつきじょう)
別 名:―
形 態:平山城
時 期:長禄2年(1458)
築城主:大石顕重
城 主:大石顕重・定重、北条氏照
遺 構:土塁・空堀
指 定:―
現 状:山林・畑(休耕)
所在地:東京都八王子市高月
高月城は、武蔵国守護代大石顕重が、大きく蛇行する秋川と多摩川の合流地点の流れに突き出るような形の加住北丘陵の自然
の要害を利用して築城した平山城です。大石氏の勢力拡大に伴い高山城は手狭になったことから、定重の代に1.6km程離れ
たところに滝山城を築き移りました。そんな滝山城のルーツともいえる高月城跡を訪ねてみました。
都道166号線沿いにある「ホテル高月城」の看板のある細い道を入ります。切通しなのか後世に造られた道なのかは分りま
せんが車1台がやっと通れる程度の道です。
高月城→ の看板があります。ここに高月城跡がと書こうと思いましたがすでに種明かしをしていましたね。
廃業になっていますが「ホテル高月城」です。この場所も曲輪跡(三の曲輪)だったようですから、高月城の名に偽りはありま
せんね。
朱の鳥居と祠が建っていますが高月城の名残でしょうか・・・でも、どっちの高月城を指して
ホテル高月城の入り口から少し先の左側に表示板が立っています。登城口(虎口)です。
切通しを反対方向から見ています
登城開始です
高月城跡の説明板 さらっと流しただけの簡単な内容ですが、本来の目的は下にある注意事項にあったのかもしれませんね。
切通しの道を登ります
少し登ったところから振り向いてみました。ホテル高月城にある祠が見えます
登り始めて暫くしたところに小屋があります。農業用の用具等を納めておく小屋でしょうか。
小屋のある反対側(右側)に空堀があります
小屋の前は堀切状になっています
少し登ったところから堀切状の場所を見ています
九十九折の道(散策路)を登ります。平場(削平地)が所々にありましたが入れませんので・・・
ぬかるんだ場所がありましたが、湧水のようです。井戸跡?
更に登ります 「これより私有地のため立入禁止」の看板が要所要所に この看板の脇にも削平地がありました
本曲輪の手前まで来ました 右側の高まりは土塁のようです
本曲輪 本来は畑のようですが休耕状態のようで草叢と化しています
案内板が2基置かれていています 両面ですので4種の案内があります
『高月城跡縄張想像図』『滝山三城周遊図』『高月城散策ルート』『高月城周辺の観光』の4種です
散策路を矢印方向に進んで見ました
本曲輪
人の歩いた跡以外は小笹だらけです
本曲輪東端に来ました 篠が刈られていて視界は良いのですが、足の底が痛い
刈られた篠の切り株が5~10cm前後残っており、これを靴底で踏みつけてしまいますのでに足の裏が刺さるように痛くな
ります。避けるようにして歩いても避けきれません。まさか靴底に鉄板の入った靴を履いてくるなんてことはできません。
空堀と土塁のようですが草木が繁茂していて明瞭ではありません
うっすらと土塁かなとわかる程度です
土塁としては明瞭な方です
藪の向こうに見えるはずの下界を見たかったのですが、藪に押し入って転落でもしたら大変ですから諦めました。
南側に進んでみました。空堀のようです。相変わらず切り株が靴底の下から刺します。
畑のようですが、やはり休耕状態。
これ以上何もないようなので引き返しましたが、足の底が・・・
秋川河川敷の秋川ふれあいランド越しにみる高月城跡の遠望(撮ってる場所は「あきる野市」になっています)
攻城日:平成30年(2018)5月22日(火)