比企郡川島町表に養竹院という寺院があり、同寺院は太田道灌の陣屋跡であるとのことから訪ねてみました。
養竹院 (太田道灌陣屋跡)
臨済宗の寺で、もとは太田道灌の陣屋があったと言われているところです。道灌の養子資家が父道灌の菩提を弔うため、鎌倉円覚寺の禅僧叔悦和尚を
開山として建立したものです。道灌は、室町時代から戦国時代にかけての扇谷上杉氏の重臣で、父資清(道真)とともに、江戸城、川越城、岩付(岩槻)城等の
築城にかかわった名将として知られ、また「享徳の乱」と「長尾景春の乱」を平定するなど知将としても著名です。道灌の名声が高まるにつれ、逆に君主の
猜疑心を生じさせることとなり、山内上杉氏の策略もあって主君扇谷上杉定正に誅殺されるという悲運の武将です。養竹院には資家の祖父太田資清(道真)、
父太田資長(道灌)、開基資家以下9代の位牌が安置されています。資家の子資頼以降の系統が岩付太田氏となります。
(埼玉県立嵐山史跡の博物館発行 「比企の中世・再発見」から ■養竹院 (太田道灌陣屋跡) の項を引用転裁)
養竹院は、臨済宗円覚寺派の寺院で、山号を常楽山と言い、薬師如来を本尊とする。上記解説のように、太田資家が養父太田道灌の菩提を弔って建立したという説に対し、
資家の法名が養竹院義芳道永と号することから、資家の菩提を弔って建立されたものではないかとの説もあるようです。なお、禅僧叔悦和尚は道灌の実弟。
陣屋跡とは言え、もとより遺構等は期待していませんでしたが、それにしても・・・
寺入口の設けられた「太田道灌の陣屋跡」碑
文化財名が入った標柱
しかし 公開はされていないような記述もありました
山 門 「常楽山」の扁額(寺額)
山門前の板碑 転倒防止よはいえ金棒で押さえられては・・・
山門横の文化財案内板
本 堂
住職の自宅(?)と板張りの渡りで繋がっているようです
鐘楼と山門
六地蔵
千手観音堂
訪問日:2016(平成28)年11月16日(水)