四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

騎西城(埼玉県加須市)

2018年05月06日 | 100名城以外の城館跡


城 名:騎西城(きさいじょう)
別 名:私市城・根古屋城
形 態:平城(沼城)
築城年:康正元年(1455)?
廃城年:寛永9年(1632)
築城主:不明
城 主:小田氏、成田氏 等
遺 構:土塁
指 定:市指定史跡(騎西城土塁 平成4年〔1992〕3月16日指定)
現 状:郷土資料展示室・学習センター・住宅地・農地
所在地:埼玉県加須市根古屋(旧・騎西町)

騎西城の歴史については「享徳の乱」あたりから語らなければならないようですし、そんな難しい話は私にはできませんので、
いくつか現地の説明板を載せておきますので参考にしてください。




模擬天守前に設置の「騎西城跡」説明板(案内板)




説明板の中から騎西城復元図(縄張図)をアップ
案内板・標柱のある●印の部分を歩いてみました。遺構があるわけではありませんので場所の確認だけです。30分もあれば廻
れますよと某施設の方の話でしたが、私の場合は倍以上の時間を費やしてしまいました。




「天神曲輪」標柱   曲輪範囲については上掲の騎西城復元図(縄張図)を参照ください(以下同じ)
戦国時代の障子堀を埋めて造った曲輪のようです 




「二の丸」標柱  
生涯学習センター駐車場から北側の住宅地辺りが二の丸の範囲か
発掘調査では建物跡や、矢尻、鎧の部分党等が見つかっている




遺構として唯一残る土塁 高さは3m この土塁が市指定の史跡となっています




反対方向から




土塁の上に「私市(きさい)城阯」の石標




土塁脇に設置されている「武州騎西之絵図」




同じく土塁脇に設置されている「騎西城土塁跡」説明板




騎西城土塁跡説明板の中から「明治・大正期の騎西城」




土塁南側の道路  この道路も外堀の一部だったようです




「騎西城 障子堀跡」説明板  




外濠は道路右側(東側)の住宅街辺りまで続いていたようです




「御蔵屋敷跡」標柱
米などの穀類を貯えた蔵があったのであろうといわれます
戦国時代は障子堀に囲まれていて、戦略上重要な区域だったようです




道路を含む標柱両側から東側一帯が御蔵屋敷跡の範囲  (標柱は道路標識柱の脇にあります)




「騎西城 的場跡」標柱  植木で的場跡の文字が隠れてしまっていますが・・・




「騎西城 的場跡」標柱の側面
戦に備え、城内で火縄銃の練習をした場所とされています




「騎西城 大手門跡」標柱
この道路入口あたりに門は建っていたのでしょうか 絵図には冠木門が描かれているようです




「騎西城 大手門跡」標柱の側面
標柱の向こうにある農地も曲輪跡のようです




前玉神社  玉敷神社が元あった場所
境内には菅原社(天神社)も祀られています




前玉神社説明板 




鳥居と社殿




二の鳥居は両部鳥居  形が分るように斜めから撮ってみました




社殿  




周りの田んぼとの段差が当時を偲ばせています




遺構ではありませんが「中宿公園」




再び騎西城天守 もともと騎西城には天守はありませんでしたから、復元天守でも復興天守でもありません。婦人会館として
建てたものが天守の形をした建物だっただけですが、模擬天守として今では騎西城跡のシンボルです。
まあ、これを見て騎西城を見てきたと言えるわけでわけですから、その価値は十分にあります




天守左側面 (模擬、模擬とあまり付けては可哀相なので外しました。と言いながら模擬という言葉を使っています)




背面と右側面




正直、出入り口の写った写真は使いたくないのですが(天守のイメージが崩れるので)
婦人会館として建てられたこの模擬天守は、ほどなくして郷土資料展示室に変りましたが、常時開館しているわけではなく、
特定の日のみ開館するようです。




天守裏にある水堀
往時のものではないと思いますが雰囲気があります




騎西城周辺年表
パンフレット「戦国から江戸時代へ 騎西城跡」の中に掲載のものです。実際には縦一列ですが横2列に加工しました。

初めて騎西城を訪ねたのは、平成22年1月30日で、周辺の加須市・北川辺町・大利根町と合併し新設の加須市となる前の騎西
町時代のことでした。と言ってもこの約2か月後の3月23日に新・加須市になりました。
それはさておき、訪ねたといっても見てきたのは、婦人会館(のちに郷土資料展示室となる)として建てられた模擬天守だけ
で、他は一切見て来ずだったのです。かと言って、遺構としては土塁が僅かに遺る程度のものですが。
今回は、模擬天守の目の前にありながらも目に入らなかった土塁と城域とされる部分の一部を歩いてきました。




騎西城跡散策とは日を変えて訪れてみた鴻巣市(旧・川里町)の雲祥寺です。その理由は、騎西城主小田顕家の墓を見ておこ
うとのことからでした。




その前にいつものお約束の六地蔵尊にお会いしました。
普段見ているのは立像の六地蔵ですが、当寺のは蓮華座に座った坐像です。




小田家墓所についての説明板




右側の宝篋印塔が小田顕家のもの 左側が息女のもの


散策日:平成30年(2018)4月21日(土)・26日(木)

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