城 名:久昌寺砦(きゅうしょうじとりで)
別 名:―
形 態:砦
時 期:不明
城 主:不明
遺 構:平場、堀切
指 定:―
現 状:山林
所在地:埼玉県秩父市久那(旧・荒川村)
久昌寺砦は、秩父札所25番久昌寺と弁天池を挟んだ南の痩せ尾根上にあり、2007年に発見されたが記録伝承はなく歴史等は
不明です。
城跡は標高約360mの頂部を中心に築かれており、7つの平場と3本の堀切からなるようですが、尾根幅も狭く、郭と言えるほ
どの規模もありません。
久昌寺砦跡縄張図(梅沢太久夫著「埼玉の城 127城の歴史と縄張」より)
岩谷山久昌寺の本尊は聖観世音菩薩です 久昌寺は別名を御手判寺と言います
札所入口にある「二十五番」の石柱とお地蔵様 その先は小さな石橋 赤い山門は仁王門
山門(仁王門) 「御手判寺」の扁額が架かっています 門の向こうに見えるのが観音堂
崖脇に見える観音堂
久昌寺の説明板
観音堂 本尊の聖観世音はこの観音堂に納められています
右下のシールは御朱印受付所で頂いてきたものです
同じく観音堂
扁額は「圓通閣」とありますがこの写真では見えませんね
弁天池を挟んで本堂、弁天堂があります
左:弁天堂 右:本堂
本堂
弁天堂
蓮池 蓮です 仏さまには蓮ですから
句碑と弁天池
弁天池越しに見える観音堂の屋根
お堂の前に池を配しているのは極楽浄土への浄土庭園を意識したのでしょうか?
左:弁天沼 右:蓮池
お参りも済みましたので本題の久昌寺砦を攻めに行きましょうか
縄張図左側の尾根の裾の西側から攻めることに
縄張図と見比べながら登っていきましたが、図の番号の位置と実際の位置が中々合致しません。写真説明での位置番号は間違
っている可能性大ですので、現況はこんな状態ということで参考程度で見て下さい。
平場7あたり 草の緑がはっきりした先辺りが堀切3かと思われますが自信なし
眼下に池を望む
平場
平場
堀切2?
平場4か?
最頂部の平場3か? 更に下(東方)に2段の平場があります
同じく平場3を先に進むと太い木のところで段差がありますがそこから平場2か?
平場2 この平場の南側の一段下がった所にも平場あり祠があります
平場1か?
この先は藪で平場らしきものは見えません
この藪の先にも平場があるとすれば上の写真の場所は平場1でないことになってしまいますが、取敢えずは平場1ということ
で通します。
ここで折り返します。来た時と戻るときの視線は違いますので、戻りながらの写真も載せておきますが、来た時の写真の説明
との整合性がとれない可能性大ですが・・・
堀切1 浅いので自信ありませんが写真中央部あたり
平場2
祠
平場3
平場4
堀切2
平場5
平場6
尾根筋
平場7
以上平場と堀切のある尾根(久昌寺砦)を往復してみましたが、写真説明に間違いがあるかもしれないことは初めに記したと
おりです。
また、行きついた平場の藪の先には縄張図に記された平場はないという前提での説明であることも承知ください。
弁天池の方向に戻ります
久昌寺砦には郭と言えるほど広い平場ではありませんし、堀切も幅がなく、攻撃から身を守るには程遠いものですが、城跡の
要件は備えているようです。
「埼玉の城 127城の歴史と縄張」では、”秩父にはこのような小規模な城郭が多いが、これを見る限り、城郭を軍事的機能
面でのみ考えるのは躊躇せざるを得ないだろう。南眼下には荒川の流れが一望出来る。ここは荒川通運の監視を目的にした場
所であったのだろうか。”と結んでいます。
散策日:平成30年(2018)4月7日(土)