■ 国指定史跡 小田原城跡
小田原駅東口2Fから望む小田原城天守
初期の小田原城は、15世紀中ごろに大森氏が築いたと考えられる。城の存在がはっきりするのは明応4年(1495)に北条早雲が入城してからである。
後北条氏の拠点となった小田原城は、上杉謙信や武田信玄の侵攻も退けた難攻不落の城であった。その後、豊臣秀吉の来襲にそなえて、城下町をも含む全周
9kmの大規模な総構が構築された。しかし城は秀吉軍の大包囲によって開城し、徳川の譜代大名大久保忠世・忠隣によって近世城郭として整備された。
明治に入り小田原城の建物はほとんど解体されたが、その後一部の建物が再建された。なお、現在の天守は昭和35年(1960)に再建されたものである。
(「日本100名城公式ガイドブック」より引用)
小田原城を3年振りに再訪してみました(厳密には再々訪)
「学橋」
元々この橋は存在しなかったようですが、城跡内に学校が出来た際に架けられた橋という話を地元の方からお聞きしました。
常盤木橋(復元)
常盤木門(再建) 本丸の表門にあたる
天守(外観復元)
住吉橋(再建)
銅門(あかがねもん・再建)
馬出門(再建)
二の丸隅櫓(再建)
学橋から二の丸隅櫓、馬出門を
現在の小田原城の建物はすべて再建(復元)されたものです。
小田原駅西口広場に建立されている「北条早雲公像」
北条氏政・氏照の墓所
小田原駅の近くにありました。
攻城日:2013年(平成25年)11月11日(月)
小田原駅東口2Fから望む小田原城天守
初期の小田原城は、15世紀中ごろに大森氏が築いたと考えられる。城の存在がはっきりするのは明応4年(1495)に北条早雲が入城してからである。
後北条氏の拠点となった小田原城は、上杉謙信や武田信玄の侵攻も退けた難攻不落の城であった。その後、豊臣秀吉の来襲にそなえて、城下町をも含む全周
9kmの大規模な総構が構築された。しかし城は秀吉軍の大包囲によって開城し、徳川の譜代大名大久保忠世・忠隣によって近世城郭として整備された。
明治に入り小田原城の建物はほとんど解体されたが、その後一部の建物が再建された。なお、現在の天守は昭和35年(1960)に再建されたものである。
(「日本100名城公式ガイドブック」より引用)
小田原城を3年振りに再訪してみました(厳密には再々訪)
「学橋」
元々この橋は存在しなかったようですが、城跡内に学校が出来た際に架けられた橋という話を地元の方からお聞きしました。
常盤木橋(復元)
常盤木門(再建) 本丸の表門にあたる
天守(外観復元)
住吉橋(再建)
銅門(あかがねもん・再建)
馬出門(再建)
二の丸隅櫓(再建)
学橋から二の丸隅櫓、馬出門を
現在の小田原城の建物はすべて再建(復元)されたものです。
小田原駅西口広場に建立されている「北条早雲公像」
北条氏政・氏照の墓所
小田原駅の近くにありました。
攻城日:2013年(平成25年)11月11日(月)