木曽義仲の父 帯刀先生義賢(たてわきせんじょうよしかた)こと源義賢は、久寿2年(1155)の大蔵合戦において反対の勢力側にいた兄義朝の長男義平(通称悪源太)に討たれました。
その源義賢の墓とされる(義賢の室の墓ではないかとの説も)五輪塔が嵐山町大蔵地内にありますが、上里町帯刀地内の福昌寺にも源義賢の墓があるとのことで訪ねてみました。
著名な武将や室等の墓や供養塔とされるものは複数あることがよくありますが、どちらが正しくどちらが違うということは言えないことです。何れもが正しく、いずれもが違うということもありますから。
曹洞宗 士峯山福昌寺 です 本尊は釈迦如来 珍しく山門のないお寺です
参道左手にはお決まりの六地蔵
参道右手には複数の石碑が建立されています
墓(多層塔)は、小さな塚の上にとのことでしたので、石碑の背後にあるこんもりしたところの上かとも思いましたが、これは古墳のようでした。
福昌寺の由緒が書かれた案内板
内容を書き写すのが面倒なので・・・
源義賢の菩提を弔うために創建された寺で、帯刀山士峰院と称したのが始まりとあります。
鐘楼
本堂
本堂正面 寺号「福昌寺」の扁額
本堂裏手の墓地の中に源義賢の墓を探しましたがそれらしきものは見当たらず、なんと本堂の真裏にありました。
墓所正面左手には「帯刀先生義賢之墓」の由緒と、「帯刀の由来」が記された案内板 右手には「清和源氏系譜図」
帯刀先生義賢之墓の由緒と、「帯刀の由来」が記された案内板ですが、これでは判読できませんので・・・例の如く手抜きで
帯刀先生義賢之墓の由緒部分
源義賢は大蔵合戦(嵐山町大蔵)で甥の源義平(通称悪源太)に討たれ、同大蔵地内に「源義賢の墓」があることから、大蔵で没したのかと思いましたが、
これを読むとこの地まで逃れたところで討ち取られたとあります。いかに勉強不足であったか(事実か否かは別として)
帯刀の由来の部分
清和源氏系譜図ですが、やはり判読が難しいので・・・
義賢 - 義仲(木曽) - 義基 と続きますが、義基 とは清水冠者義高の弟で義仲の三男のようです
※(追記)義基は義高の別名、つまり義基と義高とは同一人物として説明しているものもあり、実際のところは不明?
源義賢の墓とされる多層塔
更に近寄ってみました
左側面から
右側面から
以上、失礼な記述が多々あったかもしれませんがますが悪意は全くありませんのでご容赦の程を。
散策日:2016(平成28)年12月19日(月)