城 名:四方田氏館(よもだしやかた)
別 名:堀の内
形 態:館
時 期:鎌倉時代
築城主:四方田三郎弘長
遺 構:堀
指 定:―
現 状:光明寺・民家
所在地:埼玉県本庄市四方田
四方田氏は、武蔵七党のひとつ児玉党・庄氏の出身で、鎌倉時代に庄三郎弘長が四方田(しほうでん)に居して四方田(よも
だ)氏を名乗ったのが始まりとされます(児玉氏→庄氏→四方田氏)
四方田氏館は、光明寺東側の民家を中心とした居館で、現在でも光明寺と民家の間に内堀跡が遺っています。
【四方田】・・地名の読みは『しほうでん』 苗字の読みは『よもだ』と、ちょっとややこしいですが。
館跡内西側にある光明寺
六地蔵尊 お約束事ですので今回も
本堂
光明寺と東隣りの民家の間の内堀跡
同上
民家に遺る東西に延びた内堀跡の一部
民家、つまり、四方田氏のご子孫が代々住んでおられる現在の四方田氏館です。敷地内の畑に現在のご当主のお姿が見えまし
たので、「堀跡があるとお聞きしたので」と声をかけさせていただいたところ、「ここです。以前はもっとはっきりとしてい
たんですが手入れが出来なくて・・・」と、この内堀を案内してくれました。
更に、「前のアスファルトの道も以前は堀だった」と説明してくれ、「裏のほうにもありますから」と屋敷裏の堀跡まで案内
してくれました。
案内していただいた屋敷裏(北側)にある堀跡
同上
これは同じ裏側(北側)でも西の光明寺寄りにある堀跡
屋敷前(南側)の道路 ここもかつては堀であったようです 側溝は堀の一部なのでしょう
南側道路から見た内堀跡 かつては西端が光明寺東側に遺る堀と繋がっていたようです。
この写真では屋敷の半分も写っていませんが、右端に少しだけ写っているのが南北に走る屋敷内の道。
電柱の右側にも内堀が続いています。
訪問日:平成30年(2018)3月29日(木)