設楽氏館跡とされる2段の石垣のある上の斜面を登ったところに尾根が通っています。この尾根にある櫓台跡と謎の祠につい
ても記しておきたいと思います。
設楽氏館跡の上の辺りがこの尾根の最も高い所かもしれません。
写真は西方に向けて撮ったものですが、この先を進むと登ってきた林道と合流して、「諏訪平」バス停まで戻れます。
設楽氏館跡の丁度上にあたる尾根の少し東側に「櫓台跡」ではないかと言われている土盛があります。
尾根の一番高い場所に見張り台(櫓)を設けても大した意味もないように思えます。どうもこれは櫓台ではなく、鉢形北条家
臣設楽金太夫が鉢形城開城後にこの付近に移り住み帰農した際に武具を葬った塚との伝承があるようです。
つまりは「武具塚」ということでしょうか。
一応ここでは「櫓台」と表現しておきますが、櫓台にしてはちょっと小さいかなと思えますし、帰農した者がわざわざ櫓を設
ける必要性もないようですし・・・やはり、武具塚なのか
「櫓台跡」(武具塚)の周りにもシイタケの原木が並んでいます。シイタケ栽培をしている方がこの辺り一帯の山林の所有者
ということでしょう。所有者なら櫓台と呼ばれているこの塚についても知っているかもしれません。
「櫓台跡」から東方へ少し進むと檜の林です(写真は西方を向いています)。この林の中にも沢山のシイタケの原木がありまし
た。
檜の林の尾根を抜けました。
先のほうに小屋が見えてきました。目的のものはあの小屋の中のようです。
折角ですから尾根から・・・
以前はこの小屋(覆屋)の前に朱の鳥居が建っていたようですから稲荷神社ではないかと思います。
祠の台座の石組みのようです。やはり以前はこの石組みの上に祠が載っていたようですから、石組み自体が祠ということでは
ないようです。
皆さんのブログ等にこの祠の写真がありましたので是非見ておきたいと2段の石垣の中や周りを探してみたのですが見つから
ず、シイタケの駒打ちをしていたご夫婦のもとへ再度行って場所をお尋ねした次第です。
もう一つの登城口である西光寺前の林道を登って来ていたら館跡に着く前にこの前を通過していたことになります。
この祠がどういう経緯を持つものかはわかりませんが、状況からして設楽氏もしくは山口氏の氏神様であることも十分に考え
られてれます。
祠を探しているとき、櫓台跡から少し西方に行った尾根の下にあった墓地です。山口氏のもののようです。
祠も確認できましたので、先ほどのご夫婦にお礼を言って来た道を下山。途中で見つけたカタクリです。
西光寺です。この寺の道路を隔てた東側の谷を登って行っても設楽氏館跡に行けるようです。
矢印の所の金沢川に架かる橋を渡って登っていくようです。ただし、西光寺に駐車場は見当たりませんから、ちょっと距離が
あるものの発明神社の駐車場をお借りするか、道幅の広い場所への路上駐車。もしくは、発明神社とこの西光寺の中間あたり
にある公衆トイレの駐車場(2、3台は止められそうでした)を利用するとよいかもしれません。
散策日:平成30年(2018)3月29日(木)