四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

今井城(東京都青梅市)

2018年06月10日 | 100名城以外の城館跡


城 名:今井城(いまいじょう)
別 名:―
形 態:平山城
時 期:不明
築城主:今井氏
城 主:今井氏
遺 構:土塁・空堀
指 定:市指定史跡(昭和28年〔1953〕11月3日指定)
現 状:山林
所在地:東京都青梅市今井1丁目

今井城跡は、多摩川の北岸、加治丘陵の南辺にあり、入間川の支流、霞川沿いの低地に臨む舌状台地上に築かれており、現在も
土塁や空掘が良好な状態で残されています。この城は今井氏が城主であったと伝えられています。
城跡からは、発掘調査の際に板碑(青石塔婆)や宝篋印塔等が城跡内西側の土塁の中から打ち捨てられたような状態で発見されて
います。板碑に刻まれた年号等から、16世紀前半にこの地を治める勢力の交替があったと考えられています。
現在残る城跡の遺構は16世紀半ば以降に改修されたものと考えられています。遺構の様子から、この改修には戦国大名・北条氏
が関わっていた可能性が指摘されていますが、改修の目的や廃城時期などは不明です。
                    (青梅市教育委員会ホームページより  青梅市指定史跡「今井城跡」を引用)




恥ずかしくて載せられるような代物ではありませんが、郭の位置関係が分ればと描いてみました。位置や形状は不正確です。




「今井城跡」説明板




南側にある今井柳田自治会館の裏手にある今井城あと登城口  本来の虎口ではなく登城用に設けられたものと思料




曲輪2の西側にある平場




曲輪2西側の空堀  南方から北方に




曲輪2西側の空堀   



曲輪2




曲輪2南側  土塁はなく直接崖となっている




空堀




空堀




曲輪2から曲輪1(主郭)へ




曲輪1




曲輪1を囲む土塁




曲輪1東側の空堀




南側にある虎口の内側(喰い違い虎口)




虎口(内側から)  住宅が建っていますので外部からこの虎口に至ることは不可能です




虎口(外側から) 




土塁




空堀  曲輪1北側かと思いますが記憶不確か
 



空堀




空堀 曲輪3にあたる箇所?




曲輪3北側




曲輪3・曲輪2の西側の平場




今井城跡の南側を走る道路から見た今井城跡  左奥の建物が今井柳田自治会館  
右の道を行くと今井城跡への登城口がありますが、道路から見たときは気付きませんでしたので、北側から登城しました。




今井城跡北東隅




今井城跡北側 住宅街になっていますし道路も狭い




今井城跡北側東方部




北西隅から見た今井城跡  

道路(外周)から見ただけではた山林くらいにしか見えませんでしたが、中に入ってみると土塁。空堀が良好は状態で遺って
いましたので、あちらを向きこちらを向きと夢中で写真を撮ったのはいいのですが、後で見るとどの位置かわからなくなって
いました。建物党が写り込んでいればおおよその位置が特定できるのですが木だらけですから分らなくなり、単に「空堀」・
「土塁」とだけしたものが多くなってしまいました(恥)




今井2丁目にある「正福寺」  今井氏の墓所があるとのことで足を延ばしてみました




本堂




鐘楼ではなく本堂の濡縁の軒に吊るされた銅鍾




これが目的ではなかったのですが、否が応にも目に入ってしまったお約束の六地蔵尊




「今井氏の墓」説明板




この五輪塔や宝篋印塔群が今井氏の墓と伝わるようです

攻城日:平成30年(2018)5月22日(火)

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