四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

藤橋城(東京都青梅市)

2018年06月13日 | 100名城以外の城館跡


城 名:藤橋城(ふじはしじょう)
別 名:―
形 態:平山城
時 期:不明
築城主:不明
城 主:平山越前守虎吉・藤橋小三郎
遺 構:土塁
指 定:市指定史跡(昭和28年〔1953〕11月3日指定)
現 状:公園
所在地:東京都青梅市藤橋

藤橋城は、武蔵野台地が北側の霞川低地に突出する台地の端に位置し、低地からの比高は、5~6mで、城跡は単曲輪で、長方
形の曲輪を空堀と土塁が取り囲んでいます。 曲輪の広さは、東西約50m、南北約60m。天正18年(1590)の小田原北条
氏の滅亡とともに落城したと考えられているようです。




藤橋城趾は現在公園として整備されていますが、公園の北側や南側の住宅街の一部も城域であったと考えられます。
北側には農地が広がっています。




南側の道路沿いにある公園入口。虎口跡かどうかは不明です。
入口正面から撮りたかったのですが、撮れない事情があったものですから斜めからとなりました。




道路北方から入口方向に向けて見ています。土塁がよく遺っています。




入口横に建てられている「青梅市史跡 藤橋城跡」の標識




入口を入ったすぐの左側に設置されている「藤橋城跡」説明板




入口を入ってすぐの所にある休憩所(四阿)
正面から撮れなかった理由のヒントが、写真の左端にあります。




西側の土塁  一番高所の南西隅部分です




西側土塁の上から北方に見ています 土塁左側(西側)は腰曲輪跡




西側土塁上から公園内を見ています




西側土塁の切れた部分(虎口?)から下を見ています




土塁と腰曲輪




北西側の土塁




櫓台があったと推定される北側にある方形の平坦地  




上記場所より北側の眼下の農地を見ています




北側の土塁




北側土塁の斜面を外側から




東側の土塁




石垣の土台の上に石柱が見えます  藤橋城跡碑(石標)か?




残念ながら藤橋城跡碑(石標)ではありませんでした。刻まれた文字が薄くなっていて読みづらいですが、「杣保神社趾」と
あります。杣保は「そまのほ」と読むようです。(画像の中の右上の写真)中世のころ、羽村と青梅と奥多摩を合わせて杣保
と言っていたようです。
杣保神社は、藤橋城主平山越前守重吉が元亀・天正(1570-1591)城内鎮護のため愛宕社と称して祀ったと伝えられ、明治43
年に葛神社と合併し杣保葛神社と称したといいます。
ということですので、城跡碑ではないものの、城跡に深いかかわりがある碑であることには違いはありません。
左下の写真は、この石垣土台の反対側に埋め込まれた銘板で、昭和61年に藤橋城跡整備とありますので、石標を藤橋城跡碑
と勘違いしても仕方ないですね。




公園東側の入り口




東側入口を入った道




城跡北方の農道から藤橋城跡の遠景を

公園として整備されていることから城跡の雰囲気には欠けますが、遺る土塁が往時を想像させてくれそうです。

攻城日:平成30年(2018)5月22日(火)

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