四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

鐘楼と枝垂桜

2013年03月20日 | 花・鳥・風景


春彼岸の中日(春分の日)である今日、ふたつのお寺に墓参り行ってきました。
今年は、桜の開花が平年より早いようで、あちらこちらの桜の開花が報じられています。
ひとつのほうのお寺には鐘楼と並んで古木の枝垂桜があり、小さな町ではちょっと有名な枝垂桜です。
今日、見事に開花していましたので何枚か撮ってきました。














この鐘楼は山門になっています。
また、このお寺は室町後期に創建されたそうです。

散策日:2013年(平成25年)3月20日(水)           

東京散歩 上野恩賜公園の桜

2013年03月20日 | 花・鳥・風景


東京スカイツリーの展望台入場を諦め、地下鉄で上野駅まで戻り、本来ならそのままJR線に乗り換える予定でした。
が、折角なのでちょっとだけ上野公園に寄ってみました。桜が咲き始めているではないですか。
公園のあちこちを散策する余裕はありませんでしたので、写真にある「上野恩賜公園」の石碑の辺りをふらふらしただけでしたが・・・  






















さて、今回(17日)東京散歩をするきっかけとなった用件ですが、来月初旬、某県某市で開催されるイベントの特別観覧席のチケットを購入するためでした。
発売される枚数も少ないうえ、インターネット利用による販売方法は採用されておらず、某県内4か所と県外である都内1か所計5か所の発売先に直接赴かないと購入できません。
そんなことから発売先がある都内日本橋の某ビルのテナントを訪ねたわけでした。   




この写真を見ていただければわかる人には分かると思います。  

散策日:2013年(平成25年)3月17日(日)          

東京散歩 東京スカイツリー

2013年03月20日 | まち歩き


東京スカイツリーを初めて見たのは、工事中で東京タワーの333mの高さを超えた数日後の2010年4月4日のことで、隅田川の遊覧船からでした。
次が、やはり工事中の同年12月19日で、現場直近まで行って見てきました。この時の高さは514mでした。     




昨2012年5月に電波塔・観光施設として開業されてから10ヶ月。
そろそろ展望台へ入場する人の数も落ち着いてきたのではないかと甘い考えで、完成してから初めて行ってみました。




着いたのは午後2時を少し回ったころでしょうか。展望台に入場するための「当日券購入整理券」をもらいましたが、
集合時間が18:30~19:00 展望台入場時間が19:00~19:30とありました。
これでは帰宅が大分遅くなってしまいます。同じ待つにしても早い時間帯なら待てたでしょう。今回はあきらめ、またの機会にすることに。
これも、事前に情報を調べずに行き当たりばったりで行ったためでした。  










と、言うことで、写真だけでもと。

散策日:2013年(平成25年)3月17日(日)            

東京散歩 江戸城跡

2013年03月19日 | 日本100名城
■ 国指定特別史跡 江戸城跡



東京駅から皇居のある方向に歩みを進めました。言うまでもなく江戸城散策のためです。
とは言え、散策時間に制約がりましたから、前回の攻城で見落とした中から2か所ほどをと予定しました。
前方に「富士見櫓」が見えてきました。徳川時代、家康、秀忠、家光と三代の将軍が天守を建てたそうですが、
これらが焼失後は、この富士見櫓が天守の役割を果たしていたとの話です。




内堀通りと行幸通りが交わるあたりからアップで撮ってみました
以前、濠の傍から見たときは、近すぎて樹木が邪魔をし、これほどよくは見えませんでした  




和田倉噴水公園から、富士見櫓と巽櫓の両方が見えましたので、噴水が上がるのを待って撮ってみました




皇居前の大芝生広場のクロマツとビル群です
これが徳川時代にあったら富士見櫓に上っても遠くは見えず、櫓の役目を果たせなかったでしょう




二重橋です
手前に見えるのが「正門石橋」で、奥にある橋が「正門鉄橋」です。一般にこの二つの橋を総称して二重橋と言っているようですが、
厳密には、奥のかつて「下乗橋」と言われ、橋桁を支えるため、中途に台があって二重構造になっていたことからこの名がついたということです。  
ここには写り込んでいませんが、日本製品の不買運動をやっているお隣某国の観光客の団体が記念写真を撮っていました。なんとそのカメラは「Canon」ですからねー




ここが今回の目的だったのですが、残念ながら修理中
またしても下調べをしないで出かけた結果です。
そう。「桜田門」です     そこで・・・




隠語で「桜田門」と呼ばれる「警視庁」を・・・  






「楠正成公(楠公)像」です
でも、これは像の背面です  






記文がはめ込まれているこちら側が正面です。これですと楠公の顔は反対側向いておりますが、
皇居に対して顔を背ける失礼だということで、皇居の方に顔を向けて作られたという銅像です。

南北朝時代の武将である楠公の銅像がなぜ皇居外苑に建てられているのでしょう。
当然、江戸城の城主になったとか家康の臣下だったというよなことは時代的にありえません。
簡単に言うと皇室に対する忠臣として知られる楠公の銅像を明治期に住友家が献納し、この場所に据付られたそうです。

散策日:2013年(平成25年)3月17日(日)           

東京散歩 日本の玄関『東京駅』

2013年03月18日 | まち歩き


日本橋の某ビル内で用件を無事済ませ、東京駅八重洲口に戻りました。
八重洲口に戻っただけでは次の予定が実行できません。。東京駅自体は年に何度か利用しておりますが、新装なった「東京駅」の駅舎を見るには、
反対側の丸ノ内口側に行かなければなりません。外から東京駅を見たのは2年前のことで、この時は改修中でシートに覆われていました。
こちらから向こうが見える田舎の駅とは違います。広い構内のどこをどう行けば丸ノ内口に出られるのやら。
警備員さんにお聞きしました。最初の言葉が、「一番早いのは、130円で入場券を買って中を突っ切ることです」。
まさかこんな回答があろうとは思ってもいませんでした。確かに早いかもしれませんが、次に教えていただいたルートで無事丸ノ内口に。




万華鏡ではありません。東京駅のドーム天井です




みなさん上を向いて写真を撮っています








ここでも駅舎をバックに記念写真を撮っている方が沢山おりました。
シャッターを切ってくれと3人連れの女性(若いかそうでないかはご想像にお任せします)から頼まれましたので、バシャ、バシャと・・・
しかし、これだけ大きな建物ですからとても1枚の写真には納まりません。         そこで・・・




変形してしまいますがパノラマで・・・  
  
駅舎全体が見えるスポットがあると予備知識を仕込んできました(こんなこと10回のうち1回あるかないかです)






そうです。丸ビルの5階にある展望テラスからです。  
  
新しくなった東京駅(一部ですが)も見たことだし、次は・・・ 

散策日:2013年(平成25年)3月17日(日)            

東京散歩 お江戸日本橋

2013年03月18日 | まち歩き


17日のうちに、それも早い時間帯に訪ねなければならない用事がありました。
その訪ね先は、東京都中央区日本橋にある某ビルでした。
東京駅八重洲口に降り立ちますと、地図を片手にその某ビルをどうにか探し、場所を確認することができましたので、用件の時間まで、
「日本橋」にある「日本道路元標」を見てこようと日本橋方向に歩き始めた次第です。
日本橋方向に歩き始めたといっても、「こっちだろう」と適当に歩いていたわけですから、なかなか目的の日本橋に辿り着きません。
「あ! 誰かの銅像が」  




幕末から大正初期に活躍した幕臣で日本資本主義の父「渋沢栄一公」の銅像ではありませんか。
渋沢栄一公の銅像は、深谷駅前と渋沢栄一公の生家に建てられているものを見ておりますが、ここは知りませんでした。 




渋沢栄一公銅像から少し歩いたところに、「日本銀行」ありました。
高速道路上から見たことはありますが、目の前に見るのは初めてでした。でも、ここからでは「円」形は確認できませんね。やはり上から見ないと。
ところで、日本銀行の総裁は前任者が「白川」、後任が「黒田」。オセロゲームではありませんよね。
途中、ジョギング中の方と警備員のお二人に道聞きをし、   




どうにか「日本橋」に




ありました。「日本国道路元標」と「東京市道路元標」が




日本橋の照明灯には麒麟の像が
柱文字の「日本橋」、「にほんばし」の文字は、15代将軍徳川慶喜の揮毫によるとのこと。 




この「日本国道路元標」はよく見ると「複製」とあります。
この複製の日本国道路元標を見ただけで感激してしまった田舎者は、何かニュース等でみたものと場所のイメージが違うなと感じつつも、
正規のものはどこになんて考えもしませんでした。実は、日本橋のど真ん中に埋め込まれていたのですが・・・
これに限らず、いつも帰宅してから調べて「失敗したー」と言っている誰かさんです。行く前に調べておけばよいのに、学習能力がないんでしょうね。
複製ではありましたが、取りあえず「日本国道路元標」を見ましたので、再び某ビルに向かいました。
どんな用件だったかについては、「東京散歩」の最後にとってきましょう。 

散策日:2013年(平成25年)3月17日(日)             

東京散歩

2013年03月17日 | まち歩き


本日17日、新しくなった「東京駅」を見に行ってきました。

実は東京駅近くの某所に用事があり、ついでにということだったのですが。

そこで、ついでのついでに何か所か散歩してきましたが、歩いたのはとても3歩では足りませんでした。

追って、田舎者の東京散歩をアップしたいと思います。  


散策日:2013年(平成25年)3月17日(日)            

第5回おがわ仙覚万葉まつり

2013年03月16日 | まち歩き


《 心をゆさぶる万葉の歌 》
『万葉集』は1300年前の日本人の飾らぬ想いと言葉を集めた歌集で、古代文化が花開いた奈良時代に編さんされました。
作者は天皇から庶民まで幅広い階層に渡っています。読まれた歌は、4500首余りで世界に誇れる最高の文化遺産です。

《 よめなかった『万葉集』 》
『万葉集』の歌は仮名文字がなかった時代に、全て漢字で表現されております。日本語を音(おと)で表わした万葉仮名(まんようかな)や
漢字の音読み、訓読みが組み合わされ、さらに仏教の悉曇文字(しったんもじ)まではいっていたた め 大変むずかしいものでした。
奈良時代中期、大伴家持(おおとものやかもち)の「あたらしき年の始めの初春の 今日降る雪のいやしき吉事(よごと)」の歌でしめくくら
れて完成した『万葉集』ですが、仮名文字が定着した平安時代の初めにはすでに読めなくなっておりました。

《 仙覚の偉業 》
現代の私たちが感情豊かな万葉の歌を読むことができるのは、鎌倉時代に『万葉集』の研究に一生をささげ、万葉学の基礎を築いた仙覚の偉業によるものです。

《 仙覚の新点 すべての歌を読む 》
鎌倉時代の学僧仙覚は、13歳から取り組んできた万葉集の研究成果をもとに、漢字の歌のすぐ脇にカタカナで訓点(くんてん)を書き記して
全てを読み解きました。このことに付けられた訓点を「仙覚の新点(しんてん」と呼びます。これにより難解で全く読むことのできなかった
152首の歌を含め、全20巻の歌が読めるようになり、生涯に少なくとも3度に渡り『万葉集』を校訂し、『万葉集』の校訂本(写本)を完成させました。

《 小川町で「万葉集注釈」完成 》
仙覚が、万葉歌を読み解いたのちに取り組んだのが、難解な歌の解読でした。それが我国で初めての解読書となった『万葉集注釈』です。
1269年(文永6年)、現在の小川町域「麻師宇郷(ましうごう)」でなしとげられました。仙覚67歳のときです。仙覚抄と呼ばれる『万葉集注釈』
第二巻の奥書に、文永6年3月2日「武蔵国比企郡北方麻師宇郷」で書写したとあります。さらに第6巻と10巻には麻師宇郷の「政所(まんどころ)」で
書写したと明記してあり、仙覚は麻師宇郷を管理する領主の館(やかた)にいたことがわかります。これは、仙覚と小川町の関係を示す貴重な史料で、
小川町が仙覚を通して『万葉集』ゆかりの地であることを物語っています。
                                     (「第5回おがわ仙覚万葉まつり」パンフレットから抜粋)




そんな仙覚律師=万葉集と関係の深い小川町において、本日16日、「第5回おがわ仙覚万葉まつり」が開催され、
仙覚万葉ウォークが行われましたので参加してきました。
写真は、会場である町民会館外のステージにおいて、和紙で作られた古代衣裳姿で挨拶する小川町長。
このあと、万葉モニュメントと仙覚律師顕彰碑等を訪ねる仙覚万葉ウォークに・・・  




仙覚万葉ウォークが始まりました




左前方の丘が、仙覚律師顕彰碑が建立されている中城跡(八幡台・陣屋台)  




仙覚律師顕彰碑の前で、古代衣裳姿の参加者の記念撮影  




参加者全員(と言っても私を含む数人は入っていませんが)での記念撮影。参加者の中に私の知り合いはひとりもいませんでした・・・ 




郷土史研究家(?)の方が色々と説明してくれました




甘酒がふるまわれました




仙覚律師顕彰碑が建立されている中城跡の空堀
この中城は、鎌倉時代、猿尾(ましお)太郎直種が築き室町期には、斎藤六郎尉重範の居城し
近世の元禄元年 旗本金田丹波守の陣屋がおかれたと伝えられているそうです。
このことから、いまでもここを「陣屋」あるいは「陣屋台」と地元の人は呼んでいます




続いて「仙覚万葉展」を開催中の町立図書館へ




仙覚万葉に関する資料がパネルになって展示されています。貴重な史料も特別展示されていました。
ここでも郷土史研究家(?)の方の説明があり、大変勉強になりました。
このあとも仙覚万葉ウォークは続いたのですが、私は所用がありコースからはずれて出発点まで戻りました。

散策日:2013年(平成25年)3月16日(土)         

早春フェスタ 森林公園の梅

2013年03月10日 | 花・鳥・風景


昨日の越生梅林での観梅に続き、本日も観梅ということで、国営武蔵丘陵森林公園の「早春フェスタ」に行ってきました






昨日の青空の晴天とは打って変わり、空はどんより、風もありました。
それでも、120品種600本の梅と15000株の福寿草が咲く「花木園」にはたくさんの観梅客やカメラマンが訪れていました






「三大***」のひとつに数えられる梅園ではありませんが、数多くの品種の梅と起伏にとんだこの「花木園」は好きです






写真では分かりづらいかもしれませんが、風が強くなりました。強風です。枝が大きく揺れています。土ぼこりが舞っています。空は薄茶に変わってしまいました
帰宅してから分かったことですが、関東南部では、「煙霧」という気象現象で大変なことになったようです。ここもその影響だったのかもしれません
沢山いた観梅客もカメラマンもどんどん引き上げていってしまいました 
強風のため、予定していたイベントを中止すると場内アナウンスが流れました






大方の人が引き上げたころには、強風も大分治まってきましたが、今度は、ポツリポツリと降ってきましたので、園を出て帰路に・・・  

散策日:2013年(平成25年)3月10日(日)           

越生梅林梅まつり2013

2013年03月09日 | 花・鳥・風景


「三大***」というものは数えきれないほどあります。日本三景みたいに3か所がはっきり決まっているものもあれば、2か所については
ほぼ異論はないが3か所目にはいくつかが名乗りを上げている(たとえば三大東照宮)ものも数多く、「三大***のひとつに数えられている」
とか「三大***のひとつである」とわざわざ枕詞のようにつけて、わが地こそが三大***のひとつであると主張しているところが多いようです。
ところで、今、梅花が盛りを極めているようです。この梅についても「関東三大梅林」と呼ばれるものがありますが、
これについても諸説あるようです。水戸の「偕楽園」、埼玉の「越生梅林」、熱海の「熱海梅園」を関東三大梅園とするのが一般的なようですが、
群馬の「秋間梅林」、小田原の「曽我梅林」、青梅の「吉野梅郷」なども三大のうちのひとつに数えることがあるようです。
前置きが長くなりましたが、今日は、「関東三大梅林のひとつに数えられている」と自負している「越生梅林」に行ってきました。
梅まつりのリーフレットには3月20日までとありますが、開花が遅れた影響で3月24日ま延長になっていました。






















梅だけではありません。福寿草も咲いていました
SLも走っていましたし・・・
モデル撮影会(有料)もありましたが、私には関係ない話ですので   

散策日:2013年(平成25年)3月9日(土)