四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

高月城(東京都八王子市)

2018年06月03日 | 100名城以外の城館跡


城 名:高月城(たかつきじょう)
別 名:―
形 態:平山城
時 期:長禄2年(1458)
築城主:大石顕重
城 主:大石顕重・定重、北条氏照
遺 構:土塁・空堀
指 定:―
現 状:山林・畑(休耕)
所在地:東京都八王子市高月

高月城は、武蔵国守護代大石顕重が、大きく蛇行する秋川と多摩川の合流地点の流れに突き出るような形の加住北丘陵の自然
の要害を利用して築城した平山城です。大石氏の勢力拡大に伴い高山城は手狭になったことから、定重の代に1.6km程離れ
たところに滝山城を築き移りました。そんな滝山城のルーツともいえる高月城跡を訪ねてみました。




都道166号線沿いにある「ホテル高月城」の看板のある細い道を入ります。切通しなのか後世に造られた道なのかは分りま
せんが車1台がやっと通れる程度の道です。




高月城→ の看板があります。ここに高月城跡がと書こうと思いましたがすでに種明かしをしていましたね。




廃業になっていますが「ホテル高月城」です。この場所も曲輪跡(三の曲輪)だったようですから、高月城の名に偽りはありま
せんね。
朱の鳥居と祠が建っていますが高月城の名残でしょうか・・・でも、どっちの高月城を指して




ホテル高月城の入り口から少し先の左側に表示板が立っています。登城口(虎口)です。




切通しを反対方向から見ています




登城開始です




高月城跡の説明板 さらっと流しただけの簡単な内容ですが、本来の目的は下にある注意事項にあったのかもしれませんね。




切通しの道を登ります




少し登ったところから振り向いてみました。ホテル高月城にある祠が見えます




登り始めて暫くしたところに小屋があります。農業用の用具等を納めておく小屋でしょうか。




小屋のある反対側(右側)に空堀があります




小屋の前は堀切状になっています




少し登ったところから堀切状の場所を見ています




九十九折の道(散策路)を登ります。平場(削平地)が所々にありましたが入れませんので・・・




ぬかるんだ場所がありましたが、湧水のようです。井戸跡?




更に登ります  「これより私有地のため立入禁止」の看板が要所要所に  この看板の脇にも削平地がありました




本曲輪の手前まで来ました  右側の高まりは土塁のようです




本曲輪  本来は畑のようですが休耕状態のようで草叢と化しています




案内板が2基置かれていています 両面ですので4種の案内があります
『高月城跡縄張想像図』『滝山三城周遊図』『高月城散策ルート』『高月城周辺の観光』の4種です




散策路を矢印方向に進んで見ました




本曲輪 




人の歩いた跡以外は小笹だらけです




本曲輪東端に来ました 篠が刈られていて視界は良いのですが、足の底が痛い




刈られた篠の切り株が5~10cm前後残っており、これを靴底で踏みつけてしまいますのでに足の裏が刺さるように痛くな
ります。避けるようにして歩いても避けきれません。まさか靴底に鉄板の入った靴を履いてくるなんてことはできません。




空堀と土塁のようですが草木が繁茂していて明瞭ではありません




うっすらと土塁かなとわかる程度です




土塁としては明瞭な方です
藪の向こうに見えるはずの下界を見たかったのですが、藪に押し入って転落でもしたら大変ですから諦めました。




南側に進んでみました。空堀のようです。相変わらず切り株が靴底の下から刺します。




畑のようですが、やはり休耕状態。
これ以上何もないようなので引き返しましたが、足の底が・・・




秋川河川敷の秋川ふれあいランド越しにみる高月城跡の遠望(撮ってる場所は「あきる野市」になっています)

攻城日:平成30年(2018)5月22日(火)

滝山城(東京都八王子市)

2018年06月01日 | 続日本100名城
■ 国指定史跡 滝山城跡



城 名:滝山城(たきやまじょう)
別 名:―
形 態:平城
時 期:大永元年(1521)
築城主:大石定重
城 主:北条氏
遺 構:本丸・中の丸・二の丸・堀・土塁・虎口・馬出など
指 定:国指定史跡(昭和26年〈1951〉6月9日指定)
    続日本100名城123(平成29年〈2017〉4月6日選定)
現 状:都立滝山公園
所在地:東京都八王子市高月町

戦国の名城「滝山城跡」を訪ねて来ました。最初に訪ねたのは続日本の100名城に選定される遥か前の2009年12月の
ことでした。
このころは駐車場がなく、某施設の駐車場止めさせていただき徒歩で2㎞前後(測ったわけではありませんので、もっとあっ
たか、それとも少なかったかはわかりません)の道を行って攻城し、また2㎞の道を帰って来るという苦労をしました。
その後、駐車場が整備されたことを知り、再攻城をと思っているうちに続日本100名城に選定されました。どうせならスタ
ンプラリーが始まってからにしようと延び延びになっていましたが、漸く再攻城となりました、




これだけの大規模な縄張りを持つ滝山城ですから隅から隅まで散策したら何時間を要すことでしょう。主要部を歩いただけで
も優に2時間を超えてしましました。




滝山城跡入口  ここが大手口です




滝山城跡入口看板脇に設置されている「都立滝山公園」案内板  案内パンフレットも備えられており登城に先立ち資料が手
に入るのは大変親切なことです。
ここに限らず散策路の所々にも案内板が設置されパンフレットがおかれています。




天野坂




天野坂に沿う堀跡




小宮曲輪




「都立滝山公園」標柱と案内板




「コの字形土橋」を撮ったつもりなのですが・・・




三の丸を囲む空堀




南馬出(記憶不確かですが)




大馬出




行き止まりの曲輪




信濃屋敷跡




刑部屋敷跡




刑部屋敷跡前から見た大池




千畳敷①




千畳敷②




弁天池跡方向を見ていますがはっきりとは分りません




角馬出  千畳敷側から撮ってみましたが草叢ではっきりしませんね 角馬出は写真右側です




二の丸脇の空堀(記憶不確かですが)




中の丸①




中の丸②
この建物は元「国民宿舎滝山荘」の一部で、現在は地域の活動や、イベント時の滝山城跡情報発信の場として活用されており、
続日本100名城のスタンプが置かれています。




中の丸③




中の丸④
公衆トイレが設置されています  案内板もあります





中の丸と本丸を結ぶ「木橋」
中の丸に敵が押し寄せてきたら本丸へ半分程引き込むことができたと思われる・・・引き橋(曳橋)




木橋(引き橋)の本丸側は桝形虎口となっている




木橋を渡ってすぐの所にある陶製の説明板  日差しの加減で見づらいです




木橋を大堀切から見上げています①




木橋を大堀切から見上げています②




本丸南側桝形虎口




本丸①




本丸②  「史蹟 滝山城跡碑」と「瀧山城本丸址の碑」




「史蹟 滝山城跡碑」




「瀧山城本丸址の碑」碑文
此の城は関東の名城といわれ 天文五年(一五三六)北条氏康、同二十一年(一五五二)上杉謙信 永禄十二年(一五六九)武田
信玄の諸豪からの猛攻を受けている大永元年(一五二一)始めて 石定重之を築き 定久之を受け ついで北条氏照の居城となった 
尚 この城の城下町は八王子市の発祥地である。




本丸跡に鎮座する霞神社




井戸

「滝山城」は、大永元年(西暦1521年)に武蔵・守護代の大石定重が築城し、後に大石氏の養子になった小田原北条氏・四代
氏政の弟の氏照が拡張・改修したとされてきました。しかし、近年の研究により、北条氏照は油井領を支配していた大石綱周
の養子になり、「浄福寺(油井城)」(八王子市下恩方町)に居住し、その後、永禄10年(1567年)までに滝山城を築城して
移転したと考えられてきています。
(特定非営利活動法人 滝山城郭群・自然と歴史を守る会発行パンフレット『戦国の名城(国指定史跡)滝山城跡』より抜粋)

再攻城日:平成30年(2018)5月20日(日)