水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
神だか創造主だか醸造酒だか知らないが、
この世を創ったモノはオチャメだ。
偉大かもしれないが・・・ヒネクレている。
ヒネクレているモノは偉大なのかも知れない。
オチャメなのは・・・偉大なのかも知れない。
生きるに大切な「余裕命」の部分。
大切だからこそ使わない仕組み。
使わざるを得ない状況下で気づく仕組み。
生きる危機になり、生きる大切さを知る。
幾重にも張り巡らされた気づきの層。
死の手前になるほど「気づき」が濃くなる。
生きる意味の気づきが濃くなる。
それでもいいのだ。
どの段階でもいいのだ。
どの段階からも用意されている。
でも、そんなに苦しむ前で気づく方がいい。
普通の暮らしの中でも「気づき」はできる。
できれば「余裕命」を使う前がお薦めだ。
自分を捨てれば、自分が観える。
自分を捨てれば、気づきは拾える。
使った「余裕命」の量は中々回復しない。
生きる事が制限されるのだ。
仮の限界線前なら回復は早い。
回復を「余裕命」が支えるからだ。
「余裕命」は「命の土台」らしい。
土台は削るモノではない。
無理をしてもいいけど、
無理を続けると「余裕命」を使う事になる。
無理は少しにしておく方がいい。
少しなら何とか修復できる。
少しでは何かを得られないかもしれない。
続ければ何かを得られる。
この世は継続が形になりやすい。
「無理の継続」も何かを得られる。
だが最も大切な「命」を失う。
継続は力。
だが力は得るモノなのか?
命を削ってまで得るモノなのか?
ワシはこの言葉に企みを感じる。
誰かが誰かを利用していると感じる。
言葉に踊らされる人は多い・・・。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
ワシはアホだから、自力で気づかない。
厳しい状況のクライアントに接し、
クライアントから教えていただく。
大事な事、大切な事を教えていただく。
それは「生命」の事だ。
苦しい、辛い、痛い状態。
そして大切なモノを示してくれる。
ワシの苦しさ、痛さではない。
でもワシに苦しさ、痛さを分けてくれる。
多分、ホンモノの何分の一の量だと思う。
だから「気づき」が起こる。
身を挺して教えてくれる。
クライアントは偉いなぁ・・・。
しかもお金までくれる・・・。
ロクデナシのワシにだぜ・・・。
だからクライアントは徳が高い。
病になるのが偉いわけじゃない。
病になるのが徳の高さじゃない。
だが、そこから回復するなら偉いと思う。
回復の過程で徳は高まると思う。
浅薄な精神論では病を悪かのようにいう。
病になるのはレベルの低さだ、という。
心が浅いから病に落ちるという。
浅いのは、そう評価する方なのになぁ・・・。
人間、皆、浅いといえば浅い・・・。
自分の心は観えないのね・・・。
生きているモノ全てに共通する仕組み。
ブッちゃん(仏陀)はそれを四苦と言った。
まだ至らぬ頃だと思う・・・。
四苦の解放法に悩み、シクシクと泣いていた(ウソ)。
「生・老・病・死」
やがて、四苦と思ったのは間違いと気づく。
「生・老・病・死」は成長刺激の仕組みだと気づく。
病はチャンスでもある。
でも、辛いからお薦めできない・・・。
病にならなくても成長は出来る。
生きているだけで、いろいろあるから・・・。
(それに・・・
特に成長しなくてもいいと思うよ)
成長を意識すると、成長出来ない。
この世の仕組みはヒネクレているのだ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
器を大きくする。
ここで多くの人が勘違いする。
固定概念ってやつだ。
器が大きくなっても人間は立派にならない。
残念でした・・・。
ナマケモノでロクデナシには吉報だ。
立派にならなくても、器は大きくなれる。
ワシも安心して、遠慮なく大きくする。
立派にだけは・・・なりたくないから・・・。
(一部は立派にも大きくもならない・・・)
ワシでさえ器が大きくなれるのだ。
安心してくれ。
誰だって可能だ。
「やわらかくなる」事は誰でもなれる。
誰でも「やわらかかった」からだ。
誰でも赤ちゃんだった頃がある。
病からの回復に有効な「命の量」
基本的に誰でも増やすことができる。
安全に増やすことができる。
それなのに常識人は・・・変だ。
病から回復するのに危険な方向に行きたがる。
限界膜を根性で破る。
まるでエライかのように頑張る。
「余裕命」が少なくなるのを自慢する。
それって・・・変だぞ。
理屈で行動をすると「余裕」はなくなる。
人間の理屈は「無理」だからだ。
「理(自然法則)」と人の理屈は別な岸にいる。
理屈が消えると「理」が現われる。
そんな事も判断できないのかなぁ?
人間以外の生物は理屈を唱えない。
だから天寿をまっとうできる。
自然に解けて生きている。
だから「生命力」が活用できる。
人間は
人間以外から教わる事が多いし、大きい。
最後まで「余裕命」を残す。
最後の最後。
「余裕命」は「死」の為に使う。
「生命」を使わなくては「死」が自然でない。
(幾人もの死に係わり、やっと気づいた事だ)
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
使える「命の量」を大きくする。
これは病の回復にも応用できる。
回復するには「命」を使う。
病で少なくなった「命」を更に使う。
病でダメージを受けた「命」を更に使う。
回復に使う「命の量」で病は左右されるのだ。
ただし限界膜を破るのは非常時以外は適さない。
「余裕命」が少なくなるからだ。
「余裕命」は使わない事に役目がある。
とても重要な役目がある。
「使わない力」はとても重要なのだ。
この道に入り、ここに気づくまで数年を要した。
この世の仕組みはヒネクレている。
「使わない力」に最重要を持たせる。
「使わない事」が最大活用になる。
「使わない事」を学ぶ為に存在する。
温存する「命の量」が重要なのだ。
温存する命を「余裕命」と名づけた。
「余裕命」を使わずに「使う命」を増やす。
それは「器」を大きくする事だと気づいた。
(超)一流の選手と同じ方法だ。
「やわらかさ」で体と心の「器」を広げる。
ここからが選手とワシ等の違いとなる。
一流選手が大きくするのは自分の器だ
ワシ等はクライアントの器を大きくする。
その方法が「ヒーリング」というものだ。
「ヒーリング」は一方通行の能力じゃないぜ。
ワシは(ワシ流の)氣功で「やわらぐ」スイッチを押す。
体にも心にも(魂にも)影響する光だから可能だ。
ワシのいいかげんな言葉では無理だが氣功なら可能だ。
そして代わりに相手の病を受ける。
「ヒーリング」は一方通行じゃないのだ。
受ける病は浄化するが、一時的に受け取っている。
それを収めるのも「器」だ。
つまりワシ自身の「器」も大きくしておかないと、
ワシの生命が危機になる・・・。
ワシは自慢じゃないがナマケモノだ。
それでも、こればかりはしょうがない。
生命が無くなると、愉しめない。
ワシ自身に対しても、この分くらいは仕事する。
一応、プロだし・・・。
セルフヒーリングはプロとしての日常仕事だ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
限界点で勝負する者同士がいる。
だが一流とそれ以下は大きく違う。
限界点は仮限界点だ。
その下に眠っている能力がある。
眠っている能力を使おうとする。
限界膜を破って使う。
眠っている能力は「余裕命」
使えば使える力だ。
一流以下は使うモノだと思い込んでいる。
だが一流は残す。
温存する能力として認識する。
ここに大きな差が出てしまう。
眠っている力を使う者。
眠っている力を温存する者。
同じ限界点までいるのに、大きな差がでる。
限界点で余裕が大きいのが一流。
たった一度の勝負なら、誰が勝つか判らない。
シロウトだって勝つ事がある。
だが常に最終組まで残るのは一流だけだ。
使える力の温存ではない。
そんなに甘くはない。
誰でも限界点で勝負する。
それでも常に差が出る。
「使わない力」の量があるからだ。
「使わない力」が限界膜の下にある。
それを知ると「使わない力」を「使える力」にする。
通常、誰でもそう考えてしまう。
限界膜を破って「使える力」にする。
当然「使わない力」は少なくなる。
「力は使うモノ」という固定概念しかない。
気づいた者だけが入れる世界がある。
「気づき」は固定概念外にある。
「使わない事」に意味がある力。
そこに気づいた者は別な「気づき」も得る。
使える力を増やすのではなく「器」を広げる。
「器」を広げると能力は増えてしまう。
一流が練習するのは能力を増やしているわけじゃない。
「器」を大きくしているのだ。
「器」は「やわらかさ」で広がる。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
個体の「命の量」には限界がある。
限界は仮の限界と本当の限界がある。
「命」は保護システムがあるのだ。
それは幾重かになっている。
仮の限界膜も幾重かになっている。
体が一度限界を知らせても、まだ先に行ける。
心が限界膜を破るからだ。
それは仮の限界膜だから破る事ができる。
膜は再び塞がるが、破られる都度薄くなる。
ある状況下で意図して破る場合もある。
スポーツなどで一つの段階を越える場合だ。
何度も破り、通常能力を広げる場合だ。
だが、容器が広がったわけではない。
だから能力が広がっても命は短くなる。
真の一流は限界膜を破るより器を広げる。
「やわらかさ」で体と心を広げる。
一流以下は無理に限界を進める。
一流とそれ以下は別な次元となる。
努力や根性で入れる世界じゃないのだ。
能力は「命の量」と直結している。
能力を伸ばすには「命の量」を増やす。
そこに気づく者は多い。
しかし限界膜を破って広げる者がほとんどだ。
根性がある者ほど陥りやすい罠だ。
努力と根性の世界だけなら難しくはない。
力の世界なら狭い世界だからだ。
力の世界では限界に簡単にぶち当たる。
そして苦しむ。
力で押そうとするからだ。
一流は力を温存する方法を見出す。
次の世界は根性で乗り切れる次元ではない。
その事に気づいている。
別な要素を使う。
その「やわらかさ」が一流の素質なのかもしれない。
強くなる為に練習をする人がいる。
それはそれでいい。
だが「やわらかさ」を掴むために練習する者もいる。
それが一流といわれる人だと思う。
一瞬で変わる「やわらかさ」
それを掴むために多くの時間を費やす場合もある。
僅かの日時で掴む場合もある。
だから一流は年齢でも経験でもない。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
ちょうどいい名前が思いつかなかった。
「余命」じゃ違うし・・・
「遊び命」じゃ感じ悪いし・・・
この部分の説明に出会った事がないし・・・
だから言葉が判らない・・・。
ワシの感覚だ。
クライアントに接して感じる「命」。
命の仮の境界線。
そこから下の部分の話だ。
普段は使わない命の部分だ。
生きている時は「命」を使う。
あらゆる事に使う。
何にもしなくても使う。
その「命」には量がある。
量はその個体の決定量じゃない。
「命の器」が一つ一つ違う。
しかも「器」は大きさが変化できる。
当たり前だが「やわらかい」ほど大きくなれる。
更に器にいつも満杯の量ではない。
「命の量」は個体のその時の状態で変化する。
つまり「命」は「器」と「量」の二段構えの仕組みだ。
人は意識で「器」と「量」を変化してしまう生物だ。
変えることがある程度可能な能力を持っている。
能力はあるが、活用しているわけじゃない。
特に近代以降、人類は見えないモノに鈍感になった。
大切だ、大事だ、と言いながら「命」を粗末にした。
戦争が途切れた事のない、特殊な生物だ。
かなり・・・愚かではある。
「命」の研究を進めているが、一方向からだけだ。
近代以降、見える分野でしか研究が出来なくなったからだ。
「観る能力」もあるのに使わなくなったからだ。
「器」だけじゃなく、頭も硬くなった・・・。
だから「命」は解る人にしか解らない。
まぁ、それでもいいけどさぁ・・・。
生きている限り「命」を使う。
生きている限り「命」を補充する。
「命」は使い合う。
「命」は補充し合う。
多種多様なモノ達と補充し合っている。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
渦は疼き。
心の渦は心の疼き。
体の渦は体の疼き。
生命の動きは疼きとなる。
巡って広がる疼き。
巡って深まる疼き。
人の社会は渦と渦。
疼きと疼きの絡み合い。
唐草模様は生命模様。
見えない生命を観た人達がいる。
生命を蛇に例えた。
生命を龍に例えた。
渦が生きていたからだ。
ワシの仕事は生命力の活性化。
体や心は生命力の低下で闇(病)を呼ぶ。
あるいは・・・
生命力の活性化で闇を祓う事ができる。
方法さえ持てば難しい事じゃない。
その一つに渦がある。
渦を創り出す。
渦を応用する。
形からでも出来る。
「氣」の渦も出来る。
直線で発振するよりも、
渦で発振する方が変化が早い。
ワシはいつでも「氣」を渦にする。
回りながら、生命は活性する。
頭は渦でナデナデ。
体も渦でナデナデ。
心も渦でナデナデ。
優しい渦でナデナデする。
(「氣」でナデナデするのだぞ)
ワシ自身も時々渦になる。
しかし、回らない所もある。
借金で首が回らない・・・。
その代わりに目が回る。
首が回るようになれば、
経済的に活性化するのに・・・。
自分の事は上手く出来ない・・・。
誰か~・・・
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
渦から生命は活性、発生する。
生命が活性すると渦も発生する。
渦は生命の一つの形。
渦あるところに、生命あり。
宇宙空間の大星雲。
渦巻状の星雲なら、生命がある。
証拠は・・・渦。
解る人には判る。
解らん人には何を言っても判らん。
渦ある海は生きている。
渦ある雲は生きている。
渦ある風は生きている。
渦ある気持ちは生きている。
それでいい。
出会い。
すれ違い。
別れ。
巡り会い。
道も渦なら、それでいい。
何処かにたどり着くのが目的じゃない。
この世は「いきている」事が目的だ。
生きているだけでいい。
活きているだけで面白い。
生命は、それだけで喜んでいる。
目標。
結果。
それは・・・オマケだ。
生きている事が目的だ。
本末転倒が・・・多すぎる。
努力し精進し結果を残す。
それは・・・趣味だ。
生きる事、活かす事。
それは・・・感謝だ。
渦は自然に発生する。
自然に発生する渦があるなら、
それは・・・生きている。
渦があるなら・・・感謝もある。
渦があるなら、
グチャグチャもある。
一見グチャグチャだけど生命がある。
それでいい。
それは・・・生きている。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
スパイラルとした方が格好イイのに・・・。
ワシに格好良さは・・・似合わない・・・。
渦は回る力。
この世は時間が一方に動いているから渦は螺旋になる。
螺旋の説明は複雑になるから「渦」とした。
「時」は面白い題材だけど、理解し難い。
どうしても机上の理論になってしまう。
ワシの研究の一つに「若返り」があるが、
「時」の側面から扱うのはメンドウ・・・。
「渦」からなら、応用が効くようだ。
渦は動き。
そこに「生命」がある。
「生命」が発生する、活性する。
「若返り」なんて難しくない。
応用すればいいだけだ。
渦は曲線の動き。
真っ直ぐなモノは形になるが、
曲がったモノは生命になる。
心はどちらが喜ぶと思う?
体はどちらが喜ぶと思う?
渦は円の動き。
回るモノは常に新たな出会い。
円は・・・縁。
円は・・・炎。
火炎と水渦。
渦は浄化。
浄化は生命の動きでもある。
浄化も回復も活性も発生も同じだ。
闇(病)は生命の活性で消える。
生命は・・・光だから。
少し・・・マトモに書きすぎた。
ワシは口が滑る癖がある。
まだまだまだまだまだまだ、未熟だ。
熟女の相手には役不足・・・。
渦は・・・目が回る・・・。
目が回れば・・・心はアホになる。
心がアホになれば・・・生命は活性する。
渦は・・・荒れた心を鎮める。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」