深い病になる方法がある。
病になりたくて、なったのではない。
だが、それは病になる方法なのだ。
それは「無理の継続」・・・。
「理」は自然法則。
自然は「生命」のことだ。
「理」は生命法則。
それを無視するのが「無理」。
生命法則を壊すのが「無理」なのだ。
生命は「やわらかい」。
少しの無理なら自動修復する。
復元力は最初から備わっている。
少しくらい法則に逆らっても大丈夫さぁ。
法をガチガチに守る方が生命弱化になる。
少しの無理。
たまに破る法則。
それならいい。
むしろ、こっそり奨励する・・・。
ちょっとだけよ、は愉しみでもある。
アハハ・・・。
だが継続はアカン!
それは必ず壊れる。
当たり前やんけ!
生命法則を無視し続けて、
生命が続くはずが無いよねぇ・・・。
継続は形になる、という。
だが、何を継続するか、が重要だ。
無理の継続は「病」という形になる。
それも深い病という形になる。
何事も継続すればいいわけじゃない。
何事も努力すればいいわけじゃない。
「いいかげん」なら継続しても大丈夫だ。
「やわらかさ」なら継続してみよう。
「生命」も継続するようにしようぜ。
「余裕命」もそのままで継続するものだ。
「優しさ」も継続していい。
「愉しさ」も継続していい。
「気持ちよさ」も継続していい。
形にならないモノなら継続していい。
大切なモノは形にならない。
この世は・・・ヒネクレているのだ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」