水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
大銀杏から神殿に向かう。
丁度、朝礼拝を行う前だった。
我々龍村セミナー一同は能舞台上を許された。
一般参賀者は胡床から。
柿坂宮司が祝詞を上げる。
お話をして下さる。
龍村先生が呼ばれ、階段中からアサナ。
一般参賀者も一緒だ。
このような「おおらかさ」は天河神社の特徴だ。
「おおらか」でなければ神様は降りない。
畏れと敬愛と感謝の上での「おおらかさ」だ。
それぞれ、いろいろな部分を学んだろう。
ワシは「おおらか」と「楽」に神を観た。
深いからこそ精妙な「場」がある。
その「場」の依代(よりしろ)に社が建つ。
社に引き寄せられた者達は深い部分を震わせられる。
そして、
変わる。
神と人との合一の「場」
ホンモノを守る社は少ないだろうな。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
天河の大銀杏はワシの「氣」なぞ必要でなかった。
当たり前だ。
だが何も無いわけじゃない。
何も無いわけがない。
「氣」には応えてくれる。
巨木は優しいのだ。
気づくレベル(層)よりも深いモノ。
感じないレベルのモノ。
強いていえば・・・勘。
いつ気づくかわからない。
だが、未来に気づくだろう。
そういう深い層からの何か。
妙なる何か。
ワシは受け取った。
微にして妙なる部分が震えた。
微妙はワシの仕事上の部分だ。
不安定な勘じゃないぜ。
何が変わるか。
何が起こるか。
とても愉しみにしている。
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二年前。
ワシは九州の宗像神社にいた。
本宮の裏の巨木に呼び止められた。
何故か、する事は解っていた。
触れて、「氣の交流」だ。
ワシに澱んで浄化しきれなかったモノ。
それが一瞬でスッと消えた。
同時に巨木もワシからの「氣」を喜ぶ。
何故だか知らない。
時には「いいかげんの氣」も必要なのだろう。
ワシはヒーリングの深い意味に気づいた。
「分かち合い」がヒーリングの本筋なのだ。
お互いが同時に支えあう時がある。
お互いが同時に必要だったと気づく時がある。
お互いが同時に回復(回帰)する行いがある。
天河の大銀杏に2年前を重ねていた。
予想は外れた。
予想はよそう。
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天河65代目の柿坂宮司。
夜中12時過ぎまで丁寧に講義をして下さった。
一人一人の感想や質問は皆と共有となる。
シェアリングは一人で多人数分の学びとなる。
共有体験後のシェアリングは大きな効果なのだ。
翌早朝は和子先生の瞑想法があった。
だがワシは参加せず、一人で大銀杏に行った。
大銀杏と「氣の交流」がしたかったのだ。
誰もいない時、静かに、そっと。
巨木とは「氣の交流」が行いやすいのだ。
樹は「氣」の塊なのかもしれんなぁ。
大銀杏は天然記念物だ。
空海の手植といわれている雌雄同体の特殊銀杏だ。
根元を囲っている柵がある。
裏側から(ちょっと失礼させてもらう)。
巨木なので表側からはワシは見えない。
そして、両手を広げて抱きついた。
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例大祭の夜、柿坂宮司が講義をして下さった。
忙しいだろうに・・・。
7年前の柿坂宮司の言葉を思い出す。
「神様が相手ですから・・・」
「神様」は特定ではない。
我々一人一人の内なる神だ。
我々は自覚できないでいる。
少なくてもワシは自覚できてない。
ワシの中の神様を自覚できない。
だが、宮司はその神様に出会う。
だから手を抜けないのだと言う。
一人一人の感想や質問に丁寧に応える。
言葉ではない。
その、姿なのだ。
その、生き方なのだ。
ワシは宮司様としての
惟神(随神・かんながら)を観る。
ワシとしての惟神は・・・
もっと、ナマケモノに近い・・・。
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ホンモノの神社には濃い「氣」がある。
大元に働きかける「氣」がある。
日本人としての大元を震わす「氣」がある。
天河弁財天社ではその影響が大きいようだ。
ここで何かが目覚める人は多い。
「日本人でよかった」
「日本に生まれて嬉しい」
今回もそういう感想が幾人からも出た。
ワシのような無能力者でも触発された。
日本人としての血を震わされたのだ。
ワシはこの歳になって初めて邦楽の深さに触れたと思った。
もちろん、深さといっても判らないままだ。
だが「とても深い」とは感じたのだ。
洋楽器に比べ、単調だと思っていたのが逆転した。
和唄の底知れぬ深さを感じたのだ。
日本は・・・深いモノを秘めている・・・。
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五十鈴は二つで一つとなるようだ。
三つの鈴が三角の形をしている鈴だ。
それを二つ合わせると六亡星に似る。
宇宙の形とかいう人もいるが、宇宙の形を見た人はいない。
だが、一つの完成された形ではあるようだ。
原氏はイザナギとイザナミとした。
二つ合わさり、何かが生まれる。
合わさった波動は何かの扉を開く。
遥か宇宙の共通した波動と共鳴する。
そして・・・何かが起こる。
二つ合わさったモノ。
それを神とした。
それを「キミ」と表現した。
君が代(神の世界)の意味はここにある。
完成された二つが合わさったモノ。
君が代は千代に八千代に・・・。
(神の世界は時と空間が無限であり、過去と未来が・・・)
当たり前で深い意味があったのだ。
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講義で幾つか染みた事がある。
天河神社の象徴として五十鈴(いすず)がある。
神話の神代鈴と同じモノといわれている。
その神器を振ることに魅せられた人がいた。
あまりに見事な鈴振りに講義をお願いしたのだ。
髭顔の原氏は臨時講師を快く引き受けて下さった。
「あれは振っているのではなく、振らされているのです」
振る、より、震るに近いのかもしれない。
震えてしまうようだ。
そして、その波動は全身に波及するようだ。
「つい、腰も振ってしまいます」
「顔はにやけてしまいます」
この神器は、嬉しい、楽(愉)しい、気持ちいいモノなのだ。
身体が自然に振れる。
それは舞の元でもある。
楽器の元でもある。
神は楽しい場所に降りて来る。
こんな、当たり前が今まで判らなかったのだ。
神は嬉しい場所に降りて来る。
神は気持ちいい場所に降りて来る。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
午後からは能(慶祝能)。
「通小町」という。
ワシは能の面白さがわからない。
眠くなる・・・。
人間国宝さんに申し訳ない・・・。
(観世流 片山九郎右衛門)
ところが右隣の和子先生が言った。
「今日の能は素晴らしい迫力だわ」
ワシには迫力がわからない。
和子先生は龍村家で子供の頃から能を習わされたという。
そして、駐米して日本の伝統芸能を紹介する仕事をしていた。
能、歌舞伎、文楽等をアメリカに紹介したのは和子先生なのだ。
後でわかったことがある。
人間国宝さんが体調不良で舞台に立てなくなった。
息子さん(だと思う)が急遽代役をした。
人間国宝の代役だ。
その為、とても「氣」を込めて演じていたらしい。
誰も知らない事だった。
和子先生の感想は凄いとしかいいようがない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
10時からは例大祭だ。
天河神社の多くの年間行事祭りでも一番大きな祭りとなる。
上下白服に着替え神殿へ。
祝詞、玉串奉納などの神事。
そして、昨夜とは違う神楽。
11時からは護摩壇が作られた境内で護摩法要。
採燈大護摩厳修という。
山伏姿の修験者達が大勢で行う。
本山修験宗 聖護院門跡の方々だ。
これが、また見事な護摩だった。
結界を張った護摩壇から、
東南西北に破魔矢?を打ち込む。
そして護摩壇にも打ち込む。
更に大鉈で東南西北に結界を張る。
真言や般若心経などを唱え、火入れをする。
破邪の剣で護摩壇を浄化する。
最初、護摩壇の下から煙が這う。
それが特殊撮影のように広がるのだ。
何かに操られているような煙だった。
そして火。
後から、近年最高の護摩だったと聞かされた。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)