水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「天河・25」

2006-08-11 21:41:38 | Weblog


呼吸法で体と意識を整え、朝の境内清掃行。
おそらく、いつでも綺麗に清掃してあるのだろう。
ほとんどゴミも枯れ草や落ち葉もない。
清掃は祓いの一つなのだ。

ワシは役の行者(役小角)が祀られている祠付近を清掃した。
ここでは役の行者は「南無神変大菩薩」とされている。
天河はこの超特殊能力者によって開かれたのだ。
そうでなくても、ワシは役の行者に魅かれている。
だが、山伏の修行はまっぴらだ・・・。
特に組織の山伏は・・・何だかなぁ・・・。
本来は、たった一人でするものじゃないのかなぁ?

山の自然に自分を投げ入れ、そして溶け込む過程で学ぶ。
自然(理)を学ぶ(気づく)。
自然は生命。
自然は神。
そして、慈しみ。

祖の役の行者は、その行いで示した。
たぶん・・・組織なんざぁ作りたくもなかった。
自然に融ければ、自由になってしまう。
社会に参加したのも、個人的にしたかったからだ。
自由(自立)になれば、共生に目覚める。
組織は自立を邪魔しちまうぜ。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「天河・24」

2006-08-10 22:50:07 | Weblog


神楽の次は長唄「鶴亀」
そして奉納音楽。
今回はバイオリニストの吉田美里嬢。
どこか異国の香りがする美女だった。

その後は参集殿にてシェアリング。
各自の感想などを分かち合う。
第1日目なのに、もう充分受け取っている。
この半日だけで、ここまで来た価値が余りある。
それは参加者のほとんどが感じた事のようだ。

翌朝は天然記念物の雌雄同体の大銀杏に集合。
ヨガアサナと気功法を兼ねた呼吸法をする。
この大銀杏は空海(弘法大師)の手植といわれている。
1200年を超える雌雄同体の巨木は人に応える術を持っている。
素直な人の意識に、葉や実や音で感応してくれる。
(役の行者と空海の差は100年くらいかも・・・)

雌雄同体は聖地のシンボルの一つだ。
世界各地の聖地には必ずあるといわれている。
ダラムサラのノルブリンカでのチベット仏教曼荼羅図を思い出す。
御神体は男女神交合図だ。
これが宇宙の姿であり、神の姿であり、仏の境地でもある。
それに感応する場所が「聖地」となる。


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「天河・23」

2006-08-09 21:34:43 | Weblog


ワシには解る。
神楽を舞う少女の動作の意味が。
宝剣を半分抜いて、目の前にかざす意味が。
その宝剣が何故あれほど磨かれているのか。
奉げる相手が神だと知れば、動作の意味は解ける。

宝剣は守護であり、破邪である。
だから守護の舞があり、破邪の舞があった。
そして神に奉げる感謝と畏れの舞であった。
神楽は多くの事を表現し、教えてくれた。
ワシはここで神楽を観る事に感謝したぜ。

舞の全て理解できるわけではない。
だが、一つ解ければ幾つか解ける。
芯が解ければ、方向は解る。
解れば舞は面白い。
神楽は、とても面白い。


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「天河・22」

2006-08-08 19:43:19 | Weblog


神楽を舞う少女。
手に持つ飾り刀は宝剣だ。
神楽は神様に楽しんでいただく行い。
それが「芸能」の元となる。

楽しんでいただくが、そこには畏れがある。
尊びがあり、感謝があり、嬉しさがある。
そして、人間技ではどうしようもない願いもある。
それらを表現したものが、舞であり唄であり音楽である。
それらは、全て神楽だった。

宝剣は神に奉げ、そして通路をいただくモノだった。
宝剣は神の(一部の)「氣」と通じて、初めて役に立つ。
当たり前なのだが・・・知らなかった。
守護も破邪も人間の「氣」だけでは役にたたない。

ワシは神社の在り方を観たように思った。
神社の役目(の一つ)を教えていただいた。
鍛冶職の御先祖様達が、何故神職と同じ姿なのかも。
今までは神楽を見ても気づかなかった。
一人の少女の舞が、大きな意味を教えてくれた。


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「天河・21」

2006-08-07 21:36:59 | Weblog


ワシはアホだし、オマケに忘れるのが得意だ。
だから、深刻な病い人と向き合っていける。
アホを自覚しているから、
「わからん」から出発できる。
難病・奇病・重病などの深い病は固定概念が邪魔なのだ。

だが「わからん」だけでは前に進めない。
そこで便利なグッズがある。
「冥想」というヤツだ。
解らない事は冥想へアクセス。
すると、それほど時間はかからず教えてもらえる。
ただし・・・読み取る「氣づき」が必要だ。

冥想なんて難しくない。
(注:眼を瞑る瞑想と混同しないでね)
素直に「何?」と問えばいい。
問うモノに扉は開かれるように出来ている。
この世の仕組みを創ったグレちゃんは優しいのだ。

そこで、ワシは宝剣の使い方を問うた。
その答えが・・・・
天河での神楽だったのだ。

金曜日の夜は三条のホテルに泊まった。
そこで、宝剣の使い方を問うた。
土曜日の朝に群馬に戻った。
そして日曜日の夜に天河で答えを示された。
ワシはラッキーだぜ。


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「天河・20」

2006-08-06 22:18:23 | Weblog


三条のワシの祖先については「水晶」の雑記を読んでくれ。
ワシは御先祖様達の御蔭で今日がある。
嬉しいし、感謝している。
その地にやっと来れた。
この先も、何度も来れると思う。
通路が繋がったのだ。

御先祖様達は「宝剣」を創る鍛冶職だった。
守護の剣・破邪の剣。
結界を張り、浄化の「場」をつくる。
一打一打に真剣な「氣」を込める。
ワシの「氣入れ」は御先祖様からの得意技だ。

守護も破邪も「浄化の氣」だ。
病(闇)からの解放も同じ方法だ。
ワシは三条の御先祖様から呼ばれたと思った。
宝剣創りの方法は解った。
だが、その後の宝剣の使い方がイマイチだった。
家宝として、大事に飾っておくのか?


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「天河・19」

2006-08-05 21:36:47 | Weblog


奈良の天河に来る2日前だ。
新潟の知人から電話があった。
(当然、魅力的なオナゴである)
「体調悪い。今日来て下さい」
「夕方からなら行ける」
というわけで、新幹線で燕三条に降りる。

知人といっても会うのは3度目だ。
だが昔から知っている・・・ようだ。
約2000年前くらいから・・・と思う。
忘れん坊のワシだが、説明できない勘は働く。
(もっと現実的に働けばいいのに・・・)

実は、三条はワシの母方のルーツだ。
ワシが今の仕事(能力)なのも、ここからなのだ。
だから、いつか機会があったら行こうと思っていた。
それが、向こうから依頼として呼んでくれた。
ラッキーだぜ。
ワシはここ一年前から、ラッキーが続いているのだ。


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「天河・18」

2006-08-04 23:30:13 | Weblog


異例の正式参拝が終り、夕食後は宵宮祭神事だ。
龍村セミナー一行用に二列目に席が用意されている。
胡床(折りたたみ椅子)に「ガイアシンフォニーネット」と名前がある。
大勢の来賓が招かれている中でも、かなり優遇されているのだ。
何故か、って?
これも柿坂宮司様の意向(直観)だ。
神様は非常識だから、中臣も非常識なのだ・・・。

天河大弁才天神宮に縁のある神職者。
講や修験道関係者。
その他の(多分)エライ人達。
それぞれ玉串の奉納儀式をした。
我々からは当然、龍村先生と和子先生が呼ばれた。
龍村先生が御神体の前に進み出た時、我々も起立。
そして、階段下から一緒に二拝二拍一礼。

宵闇の中、祭壇の反対側にある能舞台に向きを変える。
神楽が始まった。
最初、少女が飾り短刀を持って舞う。
そこで、ワシは一つの意味を知る事になる。


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「天河・17」

2006-08-03 19:25:18 | Weblog


岩戸を少し開いて、外を覗く。
その瞬間、バカ力のアメノタジカラオノカミが岩戸を開く。
アマテラスの光明は・・・オナゴの裸に負けた・・・。
とてもエライ神様だって裸にゃ負けるのだ。
人間の理性など、オナゴの裸に負けるのは当然だ。
久米仙人が雲から落ちるのは当たり前だ。

神話は真理を語っている・・・。
だが、神様事は常識外れだ。
常識は人間だけのモノ。
神様は常識外れの存在だ。
だから意味を紐解く者は、いいかげんでないと無理かも・・・。

その場に居合わした我々は、神話の光景を感じた。
ならば・・・
何かが開く「場」に出会った事になる。
とても大きく深い何かと出会うかもしれない。
今後、また、変われる。
ラッキーだぜ。
とても、ラッキーだぜ。

翌日の例大祭の夜に柿坂宮司様の講義があった。
過去に能舞台でベリーダンスはあったらしい。
(それもかなり異例なんだろうなぁ・・・)
だが、祭壇上の御神体の前は初めてだ。
我々は特殊な天河でも、異例だらけの出来事の中にいた。


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「天河・16」

2006-08-02 20:35:37 | Weblog


超古代の舞。
アマテラスが機嫌を悪くして隠れた時。
天の岩戸事件だ。
アマテラスが隠れると、この世は闇だ。
神々(人々)は出るように策謀をめぐらす・・・。

岩戸の前に岩舞台を作る。
カガリで照明。
踊り子さんは、アメノウズメノミコト。
半裸(ほぼ全裸)で腰を振りながら、嬉しそうに踊る。
ストリップの原型ともいわれている。

当然、ヤンヤの喝采。
皆、好きなのだ。
生命の謳歌事が嫌いなら、生きている価値がない。
皆、愉しんでいた。
当時は、今より、ずっと素直だ。
アマテラスはその喝采が不思議だった。
「私がいなくても、皆は嬉しいのか?」


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