第七章(2)
是故空中無色 無受想行識
第五章で「空即是色 受想行識亦復如是」と言った。
今度は「空中無色」といい「無受想行識」という。
「無」を「無い」と訳したら、メチャクチャだろ。
無理やりこじつけると、
「空は色ではあるが、空の中には色が無い」・・・
かなり苦しい言い訳で、これでは国会答弁のようだ。
だから「無」の訳し方にポイント(宝)があるのだ。
だからその前の「不」にもポイントがあったのだ。
「不」と「無」を何故使っているか。
心経は全体がとても優しい言葉で綴られている。
衆生が生きる力を湧き出せるように綴られているのだ。
誰が誰に対して言ったのか。
誰が誰に対して何の目的で綴ったのか。
優れた人というのは、優しい人という事なのだ。
それを踏まえれば「不」「無」の訳は解ける。
仏陀達は、決して難しい事は言わないのだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)