水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・627」

2022-09-20 21:01:15 | Weblog



ある気功師・232

病には意味がある。
すると反論する人達がいる。
どんな考えでも自由だ。
だが勘違いする人もいる。

病になったのが悪い。
正さないといけない。
あるいは、それはその人の責任なのか。
生まれつきでも責任があるか。
等々・・・

病には意味がある。
だが、病に正誤は関係ない。
病に責任も関係ない。
生命に正誤や責任は関係ない。
正誤や責任は人社会が勝手に作り出したモノだ。
意味はあるが、どうするかは本人の自由だ。


(本館は、HP「気の空間・氣功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・626」

2022-09-19 21:15:10 | Weblog



ある気功師・231

病が発生した意味。
それに気づき、変わる。
病は病でいる必要が無くなる。
すると、病は消える。

治療は治す為の医療だ。
症状の厳しい場合は対処療法も大切だ。
人間の神経や心は折れやすい。
一時しのぎは、それなりの大切な過程を担っている。
それを含めて、治療は大切だ。

だが、治す医療、治る医療だけではない。
病が消える医療がある。
それが、気づきの医療だ。
カウンセリングというほどでもない。
普通の言葉で、普通の事だ。
固定概念で病を引き寄せている場合が多い。
その手を離す事の助言だけでいい。
かなり難しい病でも、消える事がある。


(本館は、HP「気の空間・氣功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・625」

2022-09-18 21:35:09 | Weblog



ある気功師・230

病はとても大切な意味がある。
だからこそ、勝手に他人の病を治してはいけない。
治療は必要だし、治療者は必要。
治す事も大切だが、もっと大事な事がある。

患者自身が病から大切な意味を受け取る。
意味を受け取る前に治しきってはいけない。
治すけれど、受け取る前なら、治しきらない。
私は、そう解釈した。

プロになって初期の私。
全く逆にとらえていた。
もう少しで治しきるのに・・・
どうして治療を止めてしまうのだろう。
症状が消えても、病は消えてないのに・・・
でも、今は、それでいいと思っている。
病が再発しても、その人の病だ。


(本館は、HP「気の空間・氣功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・624」

2022-09-17 20:16:53 | Weblog



ある気功師・229

病には意味がある。
複雑、大きな病には大きな意味がある。
意味、は何の為にあるか?
例えば幸せになるヒント。
例えば生まれてきた役目。

現象からなら苦しい、辛い、痛い。
病なんて無い方が良い。
苦しい事なんて無い方が良い。
辛い事なんて無い方が良い。
痛い事なんて無い方が良い。
(痛いのが好きという人は・・・勝手にしろ)

でもそんな事を言っていれば、生きている事を否定する。
肉体を否定する。
この世、物質界、肉体界を否定する。
肉体(この世)と苦、辛、痛はセットだ。
もちろん、喜、幸、愉もセットだ。


(本館は、HP「気の空間・氣功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・623」

2022-09-16 22:10:47 | Weblog



ある気功師・228

奇跡の仕組み。
治療だけでなく、様々な奇跡にも当てはまる。
だが、故師匠は特別すぎた。
一人で奇跡を起こした。
その力量で・・・
仕組みを見事に解明したのに・・・

故師匠を守る氣も特別に強かった。
だから、あの程度で済んだ。
一ヵ月で退院できた。
それは倒れた理由に気づいたからだ。

患者の生命、患者の人生に目を向けていた。
そして、相手の生き方、生命の尊重に気づいた。
簡単に病を治してはいけない事に気づいた。
いや、改めて気づいた。
だが、自分の生命ももっと尊重すべきだった。


(本館は、HP「気の空間・氣功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・622」

2022-09-15 21:08:04 | Weblog



ある気功師・227

病に倒れた故師匠は入院先で考えた。
何故、私が?
そして気づいた。
次から次へと治療していた。
時には1分もかけないで治療していた。

苦しむ人は多い。
救いを求める人も多い。
通常では治らない人達ばかりを相手にしていた。
日本だけでも忙しいのに、世界中も飛び回った。

そして自らの治療哲学を伝えた。
患者は本気で病に向き合う事。
もちろん、治療者も本気で向き合う。
すると、患者と治療者の間に何かが生まれる。
そのモノが遥か宇宙の彼方からもう一つの力と共鳴する。
それが、奇跡という現象を引き起こす。
だから、誰でも、大丈夫だ。


(本館は、HP「気の空間・氣功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・621」

2022-09-14 21:14:38 | Weblog



ある気功師・226

病と治療の関係。
本来なら治療側はかなり危ない立場だ。
厳しい病ほど、その危険性は高くなる。
そういう病、治療をすれば、という条件付きだが。
逆に、本気で向き合わなければ危険性は少ない・・・

凄い治療者は長生きできない。
自分の生命を削って治療するという事もある。
危険に気づいていても、飛び込む事もある。
患者に入れ込みすぎる事もある。

それでも治療する事。
病を治す事が最も良いと思い込む。
病は病の氣をまとっている。
それは治療側にも影響する。
だが、治療して良い場合は治療者を守る氣も同時に出る。
つまり、治療者は危険だが、守られているのだ。


(本館は、HP「気の空間・氣功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・620」

2022-09-13 21:26:39 | Weblog



ある気功師・225

治さない病。
治さない治療。
治さない病には深い理由が幾つかある。
最終的には治す、治る病もある。
最終的にも治さない病もある。

病のままでいる事に大きな意味がある場合もある。
病だからその人が幸せの場合もある。
病は治すだけが道ではないのだ。
病という状態も人生の一部。
単純に病=不幸でもないのだ。

治療側に力があると、無理やり治す事もできる。
治してはいけない病の区別をつけないまま。
病は治すものと思い込んだまま。
そして、無理やり治した結果、その人が変われない。
人生の転機を奪ってしまう事があるのだ。


(本館は、HP「気の空間・氣功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・619」

2022-09-12 20:59:25 | Weblog



ある気功師・224

医師、治療家側からの見方がある。
専門家だけで治る病は、治す治療だ。
何らかの手腕と薬と補助薬で治す。
知識、経験、で病と対する。
治す治療は専門家の力量で押し切れる。

自分の力量だけでなく、患者本人との共同で治す。
あるいは、自然の力と共同で治す。
これは、治る治療といわれる。
治すのではなく、治るのだ。

治す治療。
治る治療。
そして、もう一つの治療がある。
それは、治さない治療だ。
病は治すもの、という固定概念だと理解できない。
治さないのだから。


(本館は、HP「気の空間・氣功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・618」

2022-09-11 21:06:51 | Weblog



ある気功師・223

病にも種類がある。
他からの影響で病になった場合。
地域の工場や公共物からの健康被害もある。
地球規模での汚染もある。
特定個人からの影響での健康被害もある。
そして、自分の不摂生からの病も多い。

つまり、他から押し付けられた病。
自分で作り出した病。
自分で無理した挙句の病も理由がある。
例えば戦時下で無理をせざるを得ない。
子供を育てる為に休み無しで働く場合もある。

いずれにしても軽い病は簡単に治せるし治る。
病院からの薬で回復する。
手術で回復する。
専門家に任せきりでも治る病だ。
病のほとんどは、こうした治る病だ。


(本館は、HP「気の空間・氣功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする